玉置崇教師奮戦記(その10) 教師を辞めろ

モットーは「やってみなきゃわからない」
玉置崇教師奮戦記(その10) 教師を辞めろ!

35歳頃だったろうか、コンピュータを活用した数学授業について助言がほしいという依頼を受け、隣市の一宮市へ出かけたことがあった。そのときに起こった出来事は、一生忘れられないものとなっている。
指導助言の立場で参加する方はもう一人いて、当時、市の教育委員会で指導主事をされておられた馬場康雄先生だ。馬場先生は、生徒の数学力を一気に上昇させることで有名で、「数学授業の神様」として他市にまで名を馳せた方である。
授業を参観する前に、校長室で打合せをした。指導助言の順を決めるときだ。私の方がかなり若いので、「馬場先生、私が先に話をさせてください」と申し出たところ、「何を言っているんだ。玉置さんは、わざわざ他市から来ていただいたゲストだ。同市の私が先にするのが当たり前だ」と言われた。馬場先生にこう言われたら従うしかない。了解をして、授業が行われるコンピュータ室に入った。
すでにコンピュータ室は参観者でいっぱい。生徒もすでに着席している。その生徒を見ると、なんと金髪の生徒が一人座っている。当時のツッパリ生徒のスタイルとしては、金髪は珍しくない。
授業者の気持ちになると、多くの先生方が参観される授業で、こうした生徒を前にして授業をするのは辛いだろうと思った。「金髪少年よ、この授業中は静かにしていろよ」と、思わず心の中で願っていた。
授業は、あらかじめ提示されていた指導案のとおりに進んだ。金髪少年は、特に面倒なことを起こすことなく、静かに椅子に座ったままで、授業が終了した。「何事もなく良かったな」と思い、自分に与えられた重責である指導助言内容を考えながら、研究協議会の会場に入った。
授業者を含め参観者で授業について振り返り、さらによりよい授業となるための話し合いをするのが研究協議会だ。参観者からいくつかの質問、意見などが出され、授業の展開や工夫の良い点がクローズアップされる良い協議会となった。
そして、最後に馬場先生と私が指導助言する時間となった。まずは馬場先生からだ。司会者が馬場先生を指名すると、私の隣席の馬場先生はすっと立ち上がり、授業者に向かって、強く激しい口調で、次の言葉を発せられた。

「教師を辞めろ!辞めてしまえ!」

図書室の空気が一気に変わったことは言うまでもない。その場にいた全員が、微動だにしない。あまりにも厳しい言葉に動くことができないといった方が正しい。
授業者は下を向いた。隣席の私も顔を上げることができず、馬場先生の言葉を一番近くで聞くことになった。
「あなたのような人は教師を辞めろ!
あの金髪少年が今日の授業のねらいを達成できるなんて、誰も思っていない。
だからといって、一言も声をかけないというのはどういうことだ!
彼はおとなしく座っていたじゃないか。
彼のそばにいって、教師としての一言をなぜかけてやらないのだ。
『おっ、今日は落ち着いているね』でもいいじゃないか。
もし教室に高熱で苦しんでいる子どもがいたらどうする?
『どうした?大丈夫か』と声をかけるだろっ。
あなたは他の生徒に、あのようになったら教師から見捨てられるということを50分間かけて教えたのだ。それがわからないか!」
このようなことを一気に話された。
私の体の震えは止まらない。話そうと考えていたことは、すべてぶっ飛んだ。司会者から助言を促されたが、「何もお話しすることはありません。ありがとうございました」と伝え着席した。体の震えは止まらないままだった。

その日の夜、馬場先生は授業者と私を誘って、何軒も居酒屋を渡り歩いた。馬場先生は、授業者に何度となく同じ事を言われた。
「悪かったな。あなたを出汁に使って。あちこちで授業を見ているが、この子どもはこの程度のものだと決めつけている教師が目に付くのだ。それが残念でならない。教師が子どもをそのように見ていたのでは、子どもは伸びるわけはない。あなたの授業を見て、このことを思い出し、あのように多くの人の前で、申し訳ないことを言ってしまった。本当にすまない。許してほしい。あなたがさらに力量を高めてほしいので、あのように言ったのだ。申し訳ない。申し訳ない」
馬場先生はこのように何度も何度も言われた。こうした場に同席できたことは、自分自身のその後の教員人生にとって、どれほど貴重であったかは言うまでもない。
「教師が子どもの力を見限っていたのでは、子どもは伸びない」
馬場先生が言われたことは、確かに自分にも思い当たるところはある。ひょっとして私にも同様なところがあるので、酒席に誘っていただいたのかもしれない。
「子どもは、その教師が他の子どもにどのように接するかを見ている」
これも教師として忘れてはならない至言だ。困っている子どもに温かい手を差し伸べている教師の姿を見て、他の子どもは安心するのだ。教師は背中でも教育ができると言ってもいい。
校長として、教育事務所長として、この馬場先生からの学びを何度も皆さんに話してきた。今は、教育学部で講義をする日々。私の15回の講義のどこかで、馬場先生にはいつも登場していただいている。