玉置崇教師奮戦記(その9) 君らの気持ちがまったくわからない

モットーは「やってみなきゃわからない」
玉置崇教師奮戦記(その9) 「君らの気持ちがまったくわからない」

昭和60年ごろの中学校担任時代の話である。そのころの中学校は、全国的に荒れまくっていて、校舎のガラスが頻繁割られる。消火器を噴射されるのも驚きはしない。校内のあちこちにタバコの吸い殻が落ちている。「喫煙中だから邪魔をするな!」という中学生もいた。今では想像もできない状況の中学校が、あちこちで存在していたころの話だ。

数学教師が足りないという事態となり、小学校で子どもたちと楽しく過ごしていた自分に中学校への異動命令が下った。断れるものなら断りたいが、中学校で苦労されている先生方をよく知っているので、自分も同じ環境に入るしかないと思い、異動を了解した。

中学校に異動して、打合せの日からビックリすることばかりだった。
「先生方、協力金をだしていただきたいのですが・・・」
この言葉で、何のための協力金かが分かる方は、まさにその時代に荒れた中学校で勤めておられた方だ。
「生徒が車のボディに傷つけたり、ドアを蹴ったりするのです。そのたびに修理費用が掛かります。気の毒な先生は、修理して戻ってきたばかりの車に傷つけられたこともありました。そこで、皆さんであらかじめ協力金を出しあっておいて、車を傷つけられた先生に、修理代金の少々の充てにしてもらうことを昨年度から始めたのです。新たに赴任される先生方に正式勤務前にこのようなお願いをして誠に申し訳ないのですが、どうぞよろしくお願いします」
当時、学校がどれほど荒れていたかが十分に想像できる逸話である。

このような状況だから、授業中に数人が廊下に出てたむろしているのは、いわば日常的な風景だ。こうした中学生への心の距離を少しでも縮めるために、君たちの気持ちはよくわかるという姿勢で、会話を試みたことがある。
「今日も教室に入らず、廊下にいるのか」と優しく語りかける自分に返ってくる言葉は、「うるせい!」「黙れ」「あっちへ行け」という言葉。この言葉にたじろぐと、その言葉を発した中学生の周辺の仲間がニヤニヤ笑うという、まさに屈辱的な場面が頻繁だった。

こんなことを繰り返していては、こちらの精神が参ってしまう。アプローチを変えることにした。廊下でガムを噛んだり、つばを吐いたりしている中学生のところへ行って、
「俺もなあ、中学生のときに荒れていたから、お前らの気持ちはよくわかる」
といった感じで話しかけてみた。「俺も荒れていた」という言葉で、少しはコミュニケーションをとってもよいと思ってくれないかと考えてのことだ。
ところが返ってきた言葉は、
「玉置が荒れていたはずはない。嘘つくな!」
まさに見透かされている言葉だ。周りの連中も同様だ。
「嘘ばっかり。真面目な中学生に決まっている」
などと、嘘がバレバレで赤面するような言葉をたくさん浴びせられた。本音を言うしかないと思った。
「そうなんだ。俺は荒れたことはない。小学生のときも中学生のときも、言われたことをしっかり守っていた。先生から怒られないように、怒られないようにして過ごしてきた。だから、君たちの気持ちはわからない。なぜ授業中に教室を抜け出て廊下にいるのかがわからない。わざわざ先生に怒られるようにしているんだから、不思議でしょうがない。授業がつまらんかったら、教室で寝ていたらいい。寝ていても怒られることはない。なぜ、わざわざ怒られるようなことをするのか、ちっともわからない」
と話した。彼らは「教えてやるわ」と言って、妙に親しく、いろいろと話してくれた。自分からすると、不満ばかりで、改善に繋がるような話はなかったように記憶している。
ただし、一つだけしっかり覚えていることがある。話が終わった時に、中心となっている者、いわゆる番長が放った「今度から、玉置の授業は出るようにみんなに言っておくわ」という言葉だ。
今、こうして思い出してみると、なんとも情けない話だが、この言葉に「頼むな」と返したこともよく覚えている。
それからの数学の授業には、教室を抜け出すものはいなくなった。さすが番長だ。当時の自分とは比べものにならない統率力だ。
生徒が、教室にいて授業ができる。当たり前のことなのだが、嬉しくて、力が入ったことは間違いない。雑談もいっぱい入れて、笑う場面もたくさん作って必死に授業をした。いつしか「玉置の授業は面白い」という声が聞こえるようになった。

あのとき本音で語って良かったと、何度思ったことか。教室で落ち着いていられない生徒たちは、人間ウオッチング力が高かったようだ。嘘か誠か、瞬時に見極める力があったのかもしれない。おそらくそれまで多くの大人たちに、随分と失望してきたに違いない。「君たちのことを思って話しているんだ」と伝えても、「そんなわけはない。俺たちことより、自分のことを第一にして話しているはずだ。他の先生たちからも自分のおかげだと思われたいのだ」と、彼らは、大人の心の底を見抜いていたのかもしれない。

教師を目指している学生には、講義で「I(あい)メッセージ」の大切さを伝えている。仮に子どもがとても困ったことをしたときには「なぜ、そんなことをするのか」と聞く前に、「私はとても悲しい」「私はビックリしている」など、まず自分の気持ちを伝えることだと話している。Iメッセージは相手からは否定されない。なぜなら本当の自分の気持ちだからだ。