玉置崇教師奮戦記(その7) 女子中学生が大挙して怒りの自宅訪問

モットーは「やってみなきゃわからない」
玉置崇教師奮戦記(その7)
「女子中学生が大挙して怒りの自宅訪問」

私が勤務していた中学校では、体育大会で応援合戦を審査して優勝を決めるというプログラムがあった。その勝利に向けて、学級全体が練習に燃えに燃えていたときのことだ。
どの学級の生徒も応援合戦優勝を目指して、学校での練習だけで満足せず、土曜日午後(その当時は土曜日午前中は授業実施)や日曜日にも、担任が知らないところで集まり、練習するほどになっていた。
そんなに熱を入れられるなんて、生徒にとってもいいことだ!と思われるだろうが、案の定いろいろと問題が発生した。
地域の方から「近くの公園で、中学生が集まって、大きな声を出している。やかましくてしかたがない。なんとかせよ」といった苦情が学校に寄せられたり、「稽古事を休ませて応援練習をさせるとは何事だ」(生徒が勝手に行っていることなのだが、保護者は学校がさせていると思い込む)というお叱りが届いたりするようになったのだ。
このような状況では、生徒たちが自ら自制することは見込めない。職員会議で応援練習に関しての統一見解①②を決めて、生徒に示すことにした。

① 応援練習は、学校で定められた応援練習時間を使って行う。それ以外の時間は行わない。土曜日や日曜日は練習しない。
② 学校外での応援練習は絶対にしない。

学級担任として、応援にかける生徒の気持ちを大切にしながら、学校でルールを決めたので守るように伝えた。
いつもズバズバと本音を言うAさんは、「密かに連絡し合って、学級独自で特別に練習するからこそ、良い応援ができるのに」といったことをつぶやいた。もちろん、特別練習が学級の団結力をより強固なものにすることは、自分の中学生時代を振り返ってもよくわかる。これまではルールを作らず、学級ごとの特別練習を認めてきた経緯もあるので、納得できない生徒がいることは予想できた。聞くところによると、学級独自で練習する公園は、伝統的に割り振られてさえいたというのだ。
このような状況の中で、「限られた時間を精一杯有効に使って応援練習をすることに意義がある」と生徒に伝えても、なかなかすっきり納得しないことは見て取れた。これ以上、言葉を重ねても仕方ないと判断して、彼らを信じることにした。

こうしたときに迎えた日曜日のことだ。母校に勤めていたので、自宅は学区内にある。自宅でのんびりしていると、チャイムが鳴った。玄関に出てみると、我が学級の女子生徒が大挙して来ている。表情を見てすぐに分かったのは、怒っていること、そして担任に文句を言いに来たのだということだ。
こうして生徒が自宅を訪ねてくるのは、私が校区に済んでいるからだ。母校に勤めるのは経験上、良いことは何一つない。自宅の近くに通学路があるために、朝夕も生徒に会うことがある。買い物に出かければ、まず生徒や保護者に会う。日常生活で神経が休まらないのが母校勤務だ。
話を戻す。先頭にいたのはAさんだった。Aさんは玄関先で大きな声で話し出した。
「先生は私たちの気持ちをまったくわかってくれない。ルールを守れというだけだ。わかっていない先生をわからせようと、みんなで言いに来た」
いきなりの話で、なぜこのようなことを言われるのか皆目分からない。「どういう理由で君たちのことがわかっていないと思うのか、話してくれ」と言うと、Aさん曰く、隣の学級担任は生徒の気持ちがよく分かっている。なぜなら、日曜日の今も学校で応援練習をさせているからというのだ。学校の前を通ったら、隣の教室から応援の声が聞こえてきてわかったらしい。
生徒たちの怒りの理由を飲み込むと同時に、隣の担任に腹が立った。「なんという担任だ。職員会議で土日は練習させないと決めたのに。自分だけ良い顔をしやがって」と腹の中は煮えくりかえっているが、生徒にそのまま伝えるわけにはいかない。心落ち着かせて、「ルールを守れない学級が応援合戦で優勝はできない。君たちの怒りはよくわかる。明日、必ず、そのようなことをしてはいけないと隣の担任に話すので、今日は怒りを静めてくれ」と努めて冷静に話した。数人なら、家に上げてジュースでも出すところだが、あまりにも大人数のため、その手もとれず、「ごめん、ごめん。君たちのことはよくわかっているつもりだよ」と下手に出て、まさに解散してもらったという状況だ。

翌朝、その学級担任に昨日の状況を確認して、確かに練習していたことを認めさせた。ちなみに先輩教師だ。大きな声が出そうにもなったが、怒ったら負けだと自分をなだめ、静かな口調で理由を尋ねた。
「昨日の練習は、随分前から計画していて、生徒たちのことを考えるとどうしても止めることが出来なかった。ルールが決まる前には土曜日に練習していた学級もあったので・・・」
というのが理由だった。ルールを守るという最低限の共通行動さえできないのかと情けなくも思った。
学級の生徒には、隣の学級にはルール違反だと強く伝え、反省をしてもらったと伝えた。「僕たちも1回練習をさせてもらうべきだ」という意見もあったが、「そのような小さい人間になるな。ルールをきっちり守って優勝しようじゃないか」と生徒を鼓舞した。
応援合戦は、残念ながら優勝とはならなかったが、それ以後の学級のまとまりは特筆すべきものだった。とりわけ女子生徒からは、いったん信頼を失ったものの、こちらの姿勢がぶれることなく常に一貫していたことで、逆にさらなる信頼を得たように感じた。まさに雨降って地固まるという言葉通りである。この点においては、隣の担任に感謝したい。
先頭をきっていたAさんは、今は市役所に勤められている。子育てに関わる部署でリーダーをされていて、私は学識者の一人として相談を受けることもある。そのときに、つい思い出すのは、自宅訪問したときのAさんの形相だ。
「怒って、女の子をたくさん引き連れて、我が家に殴り込みに来たことがあったね」と水を向けると、「先生の家へ遊びに行ったことはありますが、怒っての殴り込みなんて、まったく記憶にありません」と、にこにこして言う。彼女はきっと覚えているに違いない。