玉置崇教師奮戦記(その6) 意地の家庭訪問

モットーは「やってみなきゃわからない」
玉置崇の教師奮戦記(その6)
「意地の家庭訪問」

中学3年生を担任していたとき、学級にすぐにカッとなり、頭に血が上ると何をするか分からない男子生徒がいた。その生徒への対応には、正直手を焼いていた。
彼がバットを持って、私を殴ろうとしたこともあった。「タマオキ、殺したるぞ!」と大声をあげて迫ってきたのだ。後にも先にも、「殺したるぞ!」と言われたのは、あの時だけだ。このときの詳細は、またの機会にお伝えするとして、この生徒の進路に関わることでの奮戦記を書いておきたい。
中学3年生は、4月早々から卒業後のことを踏まえて進路相談を始める。彼の考えは、「勉強なんて大嫌いだから高校には行かない」というものだった。とはいえ、これが本心なのかどうかは分からなかった。質問を重ねると、最後は「うっとうしい」という一言で片付けられ、深く相談ができない状況が続いたからだ。
保護者に聞くと、「高校は行ってほしいと思っていますけど、本人が行きたいと言わないとね。最後は本人に任せます」といった感じで、担任として困り果てた状態だった。
確か12月上旬だったと思う。「今度の保護者懇談会で進路の最終確認をします。お家の人ともしっかり相談してくるように」という指示をして、一人一人と最終希望確認をしていたときのことだ。
彼の番になった。「高校は行かないということでいいな」と聞いたら、「俺、やっぱり高校に行くわ」と言い出したのだ。予想もしない発言に、ひっくり返りそうになった。まさか、まさかの発言だ。
授業中の様子を見ていても、進学しようという様子はこれっぽっちも見られない。学力を確かにするための家庭学習プリントはまったく提出されない。これらのことに関して、彼は高校に行く気がないのだからしかたがないか、と思っていたのだ。
それが急に、入学試験まであと4ヶ月弱のところで「高校に進学したい」というのだ。
「何を考えているんだ!」
と怒りたくもなるが、こんなことを言えば、「うるさい!お前には関係ない」などと怒鳴り返すに決まっている。落ち着いて再度確認する。やはり高校に行くというのだ。その理由を聞こうとするが、理由らしい理由は聞くことができない。「明日、もう一度、確認するから」と伝え、帰宅させた。
翌日である。もう一度、確認する。やはり高校に行きたいという。通常なら、「何のために高校に行きたいのか。将来はどうしたいのか。これまでと考えを変えたのはなぜなのか」など、詳しく聞くのだが、この生徒とは長時間のやりとりができない。進路指導としては適切ではないと思いつつ、担任として腹を決めた。彼が高校に行きたいというのだから徹底的に応援しよう、と。
学力面から考えると、高校の学習を理解できる力はついておらず、仮に入学できても長く続くとは思えない。だからといって、安易に就職を勧めるのも、就職先に失礼な話だ。
徹底的に応援しようと腹をくくった以上、少しでも学力をつけて入学試験を受けさせることだ。合格に向けて勉強しようという姿勢を見せたら、まずはそれをよしとして、ギリギリになることは承知で、志望校を決めようと考えた。繰り返すが、進路指導としては、まったく不適切な進め方だ。現実にこういうことしかできなかったことをぜひとも理解していただきたい。
さて、徹底的に応援するために何をしたのか。それは毎日家庭訪問をして、学習プリントを渡すこと、前日に渡した学習プリントを受け取ることだ。
なぜなら、学校で彼に学習プリントを渡しても受け取らないからだ。担任から何かをもらっていることが周りに知られるのは、彼にとっては屈辱なのだ。賢明な読者の皆さんなら、彼の心情は理解していただけるものと思う。
1月早々から、帰宅する前に家庭訪問を始めた。たった1枚の学習プリントだが、彼に「君を見捨てない。徹底的に応援する」という気持ちを伝えるという意地があってのことだ。
ベルを鳴らす。ドアが開く。お母さんが「先生が来られたよ」と呼びかけても、2階から彼が降りてくる気配はない。しかたがないので「彼に渡しておいてください」とプリントを置いてきたこともしばしばだった。
彼が出てきても、プリントをすっと受け取ってさっさと2階に行ってしまう。前日の学習プリントが渡されることはなかった。彼から「先生、ありがとう」という言葉を聞いたこともなかった。ときには、ベルを鳴らしてもドアが開くことはなく、一言書いて学習プリントを郵便受けに入れて帰ることもあった。
「自分は何のためにこんなことをやっているのだろう。こんなにもしているのに、彼は何も変わらない。馬鹿馬鹿しい」と何度思ったことか。しかし、意地だけの家庭訪問を入試前日まで続けた。
本当に試験を受けに行くのだろうかとも思ったが、彼は試験を受けた。その高校は定員に満たなかったこともあって、結果は合格。
中学校に届いた合格書類を彼に渡すときにも、御礼の一言もないので、これが最後だと思い、「ありがとうございますと頭を下げなさい」と指導すると、彼の言い方がぞんざいで、それに腹が立ってしまい、「何だ!その言い方は!」と怒ったために、職員室で一悶着。なんとも後味が悪い最後になってしまった。彼との1年間は空しさだけが残った。
それから25年ほど経ったある日の夕方のことである。仕事を終えて家に戻ると、玄関先に二人の人影が見えた。
そのうちの一人はすぐに誰かなのかがわかった。家庭訪問を毎日した彼だ。
「○君だろ」と声をかけた。すると「はい、○です。先生、よく分かりましたね」という返答だ。「当たり前だ。忘れようにも忘れられないよ」と言っていると、隣にいた彼の同級生、つまり私の教え子の一人が、「○は、ずっと前から先生に謝りたいって言っていたんです。じゃあ、ついて行ってやるから先生の家に行こうよ、と二人で来たんです」と、話してくれた。
このことで彼を許してしまえるのだから、自分は実に単純だ。教師というのはこういうものだとも思っている。その後、彼とは一献することもある。会うたびに、あの当時、自分ができることは家庭訪問しかないと信じてやり続けて、本当に良かったと思う。世の中はすぐに結果が出ることばかりでない。こうして随分先に答えが出ることがあるのだとつくづく思う。