心の交流30年 (2007/8/5)

 春日井市にお住まいの森世昶(としあき)さん(75)は、産業機械の技術指導の仕事をしておられた。三十年近く前のこと。韓国から一人の青年が、森さんの会社に短期の技術研修にやって来た。

 日本語が話せないのできっと寂しくしていると思い、休日に宿泊している旅館を訪ねると、ロビーで一人ぽつんと座っていた。青年に同行していた通訳の人と一緒に、県内の名所を案内して歩いた。森さんの奥さんがキムチを差し入れると、一口食べて生き返ったような表情になった。

 それから数年後、突然、青年から電話があった。通訳を通して言うには「勤めを辞めて独立するため、金型業について教えてほしい」という内容だった。開業についての注意点のほか、韓国では、ちょうどソウルオリンピック景気に沸いていたときだったので、その波が終わった後のことも念頭に置くようにとアドバイスした。ただ、それだけの会話だったが、喜んでくれたようだった。

 年月が流れ、二年前のことだ。正月明けに青年から電話があった。たどたどしい日本語で「二月十七日に夫婦で森さんのお見舞いに行きます」と言う。大病をして手術をしたと書いた年賀状を見てのことだと思われた。観光のついでだと思い「どこを見たいの」と尋ねると、「森さんのお見舞いのためだけに行くのです」と言う。胸が熱くなった。

 もてなしたいと思ったが、退院後間もなくて体力に自信がなかった。そこで学生時代の友人に助けを借りて、京都・奈良を四人で巡った。清水寺の坂道では森さんがダウンするというハプニングも。そして四日後に帰国。翌日からは何カ月もの間、毎晩のように感謝の電話があったという。

 森さんはおっしゃる。「今でも、なぜ彼がわざわざお見舞いに来てくれたのかわかりません。ほんの少し、気にとめただけなのに。それも三十年も前のことなのです」。よほど異国の地でかけてもらった一言が、忘れられなかったのだろう。言い尽くされたことだが「心は国も言葉をも超える」のだなあと、この八月に思った。