よかよか (2011/6/26)
豊橋市の松下芳子さん(91)が小学校の先生をしていた37、8年前のある日のこと。仕事中に博多の実家から電話が入った。母親が危篤だと聞き、豊橋駅から新幹線に飛び乗ると、車内は高校生でいっぱい。松下さんが通路に立っているのを見た一人の男子生徒が、席を譲ってくれた。彼らは鹿児島の高校生で、東京への修学旅行の帰り道とのこと。何度も断ったが「よかよか」と鹿児島弁で勧められ「では交代で」と言い厚意に甘えることにした。ところが途中、何度も「代わりましょう」と言うのだが「よか」と答える。新聞紙を通路に敷いて座ったまま、とうとう博多駅に着いてしまった。
母親の葬儀を終えて自宅に戻ると、松下さんはその高校の校長先生にお礼の手紙を書いた。しばらくして、男子生徒の母親から礼状が届いた。中には手紙とともに新聞の切り抜きが入っていた。校長先生が修学旅行の帰途の善行を鹿児島の新聞社に投稿し、それが記事になったものだった。「よか」と大きな見出しが付いていた。
卒業後、警察官になったと聞いた。たまたま熊本へ行く機会があって鹿児島まで足を延ばし、警察学校を訪ねて再会を果たした。その後、何年か文通が続いたが、どちらからともなく便りが途絶えた。二度の転居と四度の入退院で当時の新聞記事もなくしてしまったため、名前さえ思い出せない。
「たしか学校名は市来農芸高校?かと思います。きっと要職に就いて活躍されていることでしょう。もしかなうなら、もう一度手紙のやりとりをしてみたい」とおっしゃった。