「よかよか」の高校生見つかる! (2011/8/21)
6月26日付「ほろほろ通信」で紹介した話。37、8年前、豊橋市の松下芳子さん(91)は母親が危篤だと知らされ、豊橋駅から新幹線に飛び乗った。満席で立っていると、高校の修学旅行の男子生徒が席を譲ってくれた。自分は新聞紙を通路に敷き、腰を下ろした。何度も「代わりましょう」と言うのだが「よかよか」と答え、とうとう博多駅まで。後日、その高校の校長先生にお礼の手紙を書いたことがきっかけで付き合いが始まる。
卒業後、警察官になったと聞き、鹿児島を訪ねて再会を果たしたことも。ところがその後、松下さんは二度の転居などで連絡先を失くしてしまった。名前さえ思い出せない。「かなうことなら、もう一度手紙のやりとりをしてみたい」と願っている。
これを読んだ複数の読者から編集局に電話が入った。「ぜひ力になりたい」と。その一人が岡崎署長の川合隆善さんだった。たまたま副署長の徳升智幸さんの警察学校での同期が鹿児島署にいるとのことで、記事を送って捜してもらうことにした。
年齢からすると、まだ現役なのですぐにわかるはず。しかし一カ月たっても見つからない。そこで川合さんが直接、松下さんに電話をして詳しく話を聞き直した。すると、新たな手掛かりが判明。松下さんの記憶違いで、「47、8年前」の出来事だったのだ。
再度、鹿児島へ捜索を依頼。今度は時を経ずしてわかった。名前は大園和人さん(64)。鹿児島南署の署長まで務め、現在は交通安全協会で働いていらっしゃるとのこと。すぐさま川合さんは松下さんに連絡。松下さんは、念願の「元高校生」に電話をして話をすることができた。あらためて「あの時はお世話になりました。ありがとうございました。ご立派になられましたね」とお礼を言ったという。
その大園さんに電話をしたところ、また新たな事実が判明した。席を譲ったのは鹿児島行きの急行霧島だったという(新幹線は開通前)。友人二人と交代で通路に座っていた覚えがあるとのこと。とすると十数時間もの長い間ということになるが「普通のことですよ」とおっしゃった。
川合さんは言う。「記事を全署員400人に回覧しました。世知辛い世の中だからこそ初心に帰って、この高校生のような温かな気持ちで仕事に励んでもらいたくて」と。