遠い昔のお礼(2006/5/26)

 父が小学生のころ、昼時になると、教室からふっと姿を消す同級生がいたそうだ。家が貧乏で弁当を持って来られないためだ。幼いころ、物をねだるたび、父から何度も聞かされた話である。

 江南市の矢嶋美代子さん(66)から、こんな思い出話が届いた。中学二年生のときのこと。下校時間に担任の男性の先生から呼び出しがあった。「なんだろう」と思いつつ職員室へ向かうと、先生は廊下で待っていた。そして「これはいいから持って帰りなさい」と、矢嶋さんの手にそっとお金を握らせてくれた。それは、昼間に学校へ納めた学用品か何かを買うためのお金だった。

 家が貧しいことを知っていて、配慮してくださってのことだと分かった。でも、貧乏だと思われていることが恥ずかしくて仕方がなかった。何も言えないまま、校舎を飛び出した。校門では友人たちが待っていて「何の話だったの」と質問攻めに遭った。その先生は、独身で人気者。嫉妬(しっと)と羨望(せんぼう)のためである。実際はそんなことではないのに、呼び出しの理由を答えられず、ますますつらい思いをしたという。

 あれから五十二年。つい先日、先生がご健在だということを知った。同級生からご自宅の電話番号も伝え聞いた。勇気を出してかけてみると、電話口にご当人が出られた。八十歳になられたという。遠い昔のお礼を言った。そして「うち貧乏だったんです」と言うと「よく電話してくれたね」と先生。その瞬間、すう~と胸の中の重いものが消え去ったそうだ。

 末尾に「つらい思い出が、懐かしい思い出に代わりました」とあった。