メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」第85回「こんなスゴイ友達を紹介します!「日本講演央新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」(第五回)~日本講演新聞編集長・水谷もりひとさん~」

メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」
第85回「こんなスゴイ友達を紹介します!
「日本講演央新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」(第五回)
~日本講演新聞編集長・水谷もりひとさん~」

☆今の私があるのは、友人・知人・両親・親戚・先輩・同僚・心の師など大勢の人たちの「おかげ」です。
いただいたたくさんの「御恩」を次の人へと「送る」ために、新作や約3.000本のアーカイブスから厳選してお届けします。
名付けて「志賀内泰弘の恩送り通信」です。

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日本講演央新聞を購読されている方も多いと思います。
全国で開催された著名人の講演会の講演録と、編集長・水谷もりひとさんの社説で有名な新聞です。
以前、私が編集長を務めていた月刊紙「プチ紳士からの手紙」に、水谷もりひとさんが書きおろして下さった「至高のエッセイ」を順に、アップさせていただきます。どうぞ、お愉しみください。今日は、その第五回です。
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日本講演新聞・魂の編集長の「ちょっといい話」第五回
「色を愛し、色を楽しみましょう」
水谷もりひと

日本人はこよなく「色」を愛した民族だと言われています。
奈良時代から平安、鎌倉、室町、安土桃山、江戸時代を経て、明治、大正と近代史に至るまで、いつの時代にも権力闘争はありましたが、その一方で実に素晴らしい文化が生まれていました。
絵画はもちろん着物、屏風絵、陶磁器、扇子、寺院などいつもそこにはカラフルな「色」がありました。

もちろん諸外国にも古くから色鮮やかな美術品はありますが、どこよりも日本人が色を愛していた証拠は色一つ一つに名前をつけていたということです。
たとえば、赤系だけでも八十一種類の色があります。
皆さんは梅鼠色(うめねずいろ)、臙脂色(えんじいろ)、蘇芳色(すおういろ)、猩猩緋(しょうじょうひ)葡萄色(えびいろ)、檜皮色(ひわだいろ)と聞いて、どんな赤色か想像できますか?

青系にも千種色(ちぐさいろ)、納戸色(なんどいろ)、露草色(つゆくさいろ)、瓶覗(かめのぞき)など、五十五種類の色があるそうです。
茶系は六十六種類、緑系は六十三種類、黄系は四十九種類、紫系は四十八種類、黒白系は三十九種類もの色があるわけです。

確かに、色は無限にありそうですが、この四百種類もの色すべてに名前が付いているというだけで、日本人の色に対する愛情の深さ、日本人の美意識の高さを窺い知ることができますよね。
ところが、二千年以上もの間、色を愛した歴史を持つ日本人ですが、ただ近代史の中で一時期、日本中から色が奪われた時代がありました。
そうです、戦争の時代です。
あのとき、日本中がドブネズミ色一色になりました。

ある時、学徒動員させられた女学生たちがいました。
彼女たちは日の丸の鉢巻きをし、上はセーラー服で、下はモンペでした。
一人の女学生が軍人の目に留まりました。
その女学生のセーラー服からちょっとだけ色のついた肌着がはみ出ていたのです。
母親が残り毛糸を集めて編んだものでした。
赤や青などいろんな色が混じっていました。

「そんな軟弱な格好をしているとはけしからん」と、その場で肌着を脱がされ、ハサミで切り裂かれました。
そして女学生はボロボロになるまで殴られたのです
。一週間後、その子は亡くなったそうです。

その場に一人の少年がいました。
少年は思いました。
「あの子が一体何をしたというのか。母親が愛情込めて編んでくれた毛糸の肌着を着、それがセーラー服からちらっとはみ出ていただけじゃないか」、少年は悔しくて悔しくて仕方がなかったのでした。

戦後、少年は色を葬った時代に復讐するかのように、派手な色の服を身にまといました。
当時は『リンゴの唄』などの歌謡曲が戦争で傷ついた日本人を元気づけていた時代でしたが、そんな時代に彼はきらびやかなファッションでフランスのシャンソンを歌ったのです。

今年八十一歳になるシャンソン歌手・美輪明宏さんがまだ17歳の時の話です。
昭和32年、22歳の時に歌った『メケメケ』が大ヒットし、メジャーデビューを果たしました。
ところがその後、美輪さんは少年時代の体験、戦争の悲惨さ、戦後復興の陰にある差別、世の中の不条理を訴える歌を自ら作詞作曲して歌うようになり、それが反社会的という理由で芸能界から追放されます。
特に小学校時代、建設現場で働く友だちの母親の姿が忘れられず、それを歌にした『ヨイトマケの唄』(1965年)は「貧しい人を差別する歌だ」と知識人たちから難癖をつけられ、テレビ局はこの歌を放送禁止歌にしました。
ところが、「あの歌を聴いて泣きました」「感動しました」という手紙が美輪さんの事務所やテレビ局に殺到するようになりました。
その数2万通を超えたそうです。

その多くが土木現場で働く女性や、そういう母親を恥ずかしいと思っていた娘たちからでした。
「娘は私がそういうところで働いているのを嫌っていたので、娘が学校帰りに現場の近くを通ると私は物陰に隠れていました。
でもあの歌を聴いた娘が私のところに来て、『母ちゃん、ごめん。これからは学校の帰りであろうと、友達の前であろうと、どんどん仕事をしてちょうだい。私はもう恥ずかしいとは思わないから』と言ってわんわん泣いたのです」、そんな感謝の手紙で美輪さんの小さな部屋はいっぱいになりました。

美輪さんはNHKのテレビ番組でこんなことを言ってました。
「50代の男性に自殺が多いのはあの世代に文化がないからです。
『冬のソナタ』があれだけヒットしたのは、ペ・ヨンジュンさんのセリフにある優しさと思いやりだと思います。
思いやりはどこから生まれるか。
それは想像力です。
想像力はどうしたら育つか。詩や俳句や文学、そういう文化に親しむことです」と。

ちなみに、『ヨイトマケの唄』はいろんな人がカバーして歌われるようになりましたが、NHKが正式に美輪さんに出演依頼してテレビで歌ったのは2012年の「紅白」です。美輪さん七十七歳にして紅白初出場でした。

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