緒方千奈さん「NEО和装スタイル協会」良い事も悪いことも、すべてに感謝する(その2)

人の幸せが、自分の幸せ 志賀内泰弘

「娘に着物を着させてあげたい」という思いから始まって緒方さんは、お兄ちゃんと妹の二人の子宝に恵まれました。

すると今度は、こんな夢が心に湧いてきました。「娘に着物を着せてあげたい」と。

緒方さんは、つらい症状を抱えながらも着付け教室に通い始めます。それまで着物とはまったく縁遠い生活でした。
それまで一枚の着物も持っていませんでした。それが、着物を自分で着られるようになると、和装の世界にハマッてしまいました。
どこへ出掛けるにも着物、着物、着物。そのうち、スタイリストの仕事をするまでになったのです。

ある時、イベントで出逢った着付師さんから、「若者の和装離れが進んでいます。スタイリストの目線から和装のイベントを一緒にしませんか」と誘われました、
若者の和装離れは、なぜだろう・・・と考えました。お金がかかる。自分で着れない。結婚式はドレスを着たい。着物は成人式でだけ着る以外に、着ていく機会がない・・・など。それなら、「誰もが気軽に着られる、着たくなる和装を提案しよう」と、「NEО和装スタイル協会」を立ち上げます。

もっとも、病気を抱えての辛い毎日。もちろん子育てをしながらです。

八面六臂、病と付き合いながら全国を行脚

鹿児島には伝統工芸の大島紬があります。しかし、需要が少なくなる一方、職人の高齢化で後継者不足の問題も深刻でした。

まずは和装を洋服のように気軽に取り入れられる世の中になってもらいたいと、和装に洋装のアクセサリーを取り入れたりした「新しい(NEO)和装」を広める活動をスタートしました。
昔、お婆ちゃんが着ていたけれど箪笥の肥やしになっていた着物があります。それらに再び光を当てることでお金もあまりかかりません。

ファッションショーやイベントには、子供から高齢者、さらに障がい者も楽しんでいただけるような企画をしました。
東京、名古屋、大阪など全国を巡り、ついに2019年にはシンガポールでも大島紬のファッションショーを開催することができました。

それも、すべて実費。同行するカメラマンやモデルの旅費・宿泊費等を捻出するため、ハンカチを制作し売りまくりました。
途中、体調を崩しますが、モデルの女性や現地の人たちに助けられ無事に成功を収めることができました。

ただし、足が象のように浮腫んでしまい、帰りの飛行機は現地で買った300円のスリッパで乗り込んだそうです。

コロナ禍で、すべてのイベントが休止の中・・・

帰国後、上海、名古屋、東京とファッションショーの予定が相次ぎました。ところが・・・コロナ禍で、すべてキャンセルに。ようやく軌道に乗った活動も思うように進まなくなってしまいます。
そこへ起きたのが、2020年7月4日の熊本豪雨でした。人吉市で、緒方さんの親しい友人やその親戚の家が全壊、半壊してしまいました。安否が心配で連絡を取り、「何か必要なものは?」と尋ねると、「マスクと消毒液とタオルが欲しい」とのこと。コロナ禍での災害は、想像する以上にたいへんな様子でした。

緒方さんは、友人らに支援を呼びかけます。その結果、全国からマスクなどの支援が届きました。
緒方さんの病気は自己免疫疾患です。もしウイルスに感染したら自分の命が危うい。それにもかかわらず、陸路を支援物資を高速道路を使って自分で運びました。体力的にも精神的にも参ることもありました。
しかし、その姿を見て一緒に手伝ってくれる大勢の仲間が出来ました。仕事の合間に、物資の仕分けをして熊本に運ぶ日々が続きました。

そんな中、「コロナでボランティアが来ないから、せめて軽ダンプ、軽トラが欲しい」という被災者の声を聞き、仲間とクラウドファンディングも試みました。

緒方さんは言います。
「私は同情されるのはいやだし、私は病気のことをあまり言うのは好きではありません。でも、仲間たちには、事実を話しました。すると、不思議に体力的にも精神的にも楽になったのを実感しました。一人の友人に言われた言葉が忘れられません。『同情ではないよ、やれる人がやるんだよ』。そんな気持ちがとても嬉しかったです。

さらに、体に異常が出た時、『休ませてね』と言える仲間ができたのも初めてでした。言葉に出すことの大切さを知りました」

奄美観光大使になりました

活動を続けるためには、収入が必要です。活動を応援していただいている織元さんや大島紬を扱っている商品を作っている会社の方々に私の協会に委託販売してもらえるように交渉し、販売の目途が立ちました。しかし、そこへコロナ禍が起きてしまいました。この先、どうしよう・・・と思っていた時、ずっと念願だった話が舞い込みます。奄美観光大使への就任です。


全国に奄美のPRをしつつ、大島紬を販売して着物の魅力を伝えること。それがかなったのは、ひとえに「想い」だったと言います。
重い病気を抱えつつも、人から、世の中から必要とされること。
みんなの幸せのために行動すること。
緒方さんは、それが「自分の幸せ」だと気づいたそうです。


そう、人の幸せが、自分の幸せ。
人に尽くすと、それは結局、回り回って自分に還って来る。
「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動の理念の「ギブアンドギブ」の精神がここにもありました。


緒方さんは、謙虚にこうも言います。
「今の私がいるのは私の力ではないです。家族、友人、協力者、応援者、反対する方、非難方・・・。私に関わってくださるすべての方のおかげで、今の私がいます。本当に感謝し、お陰様しかないです」
と。

KKB鹿児島放送 2019年11月
夕方ニュースにて

一般社団法人「NEО和装スタイル協会」について詳しくは、こちらをご覧ください。