水谷かをりさん・シングルマザーを応援するプロジェクト(その1)

とめどない『愛情』で苦難を乗り越え成功に導く①・・・「別に何とも思いませんでした」

長年の「夢」がかないました

2020年1月、三重県桑名市にシングルマザー専用のアパート「パークリンク桑名」がオープンしました。

開設したのは、産業機械部品を製造する朝日工業株式会社の社長・水谷かをりさん(42)です。

普通のアパートではありません。さまざまな理由で、身内の応援も受けられないシングルマザーのために「子育て」「食事」「就労」など、あらゆる角度からサポートを行い、自立して旅立っていってもらうことを目標にしています。水谷さんが入居者家族と一緒に、野菜やお米も作ったり、悩み事の相談に乗ったりもします。つまり、物心両面から母子世帯を応援するプロジェクトなのです。


それは、水谷さんの10年来の「夢」でした。なぜなら・・・彼女自身も、シングルマザーで苦難の人生を歩んで来たからです。
順風満帆の人生だったはずが・・・


水谷さんは、何不自由ない家庭で育ちました。父親は多方面の会社の経営者で、三姉妹の末っ子として生まれました。両親は彼女の「健康」のみを願い、学校の成績は一切問わなかったそうです。大学卒業後、3年間東京の企業で働き、地元桑名に戻って結婚しました。


しかし、そこから彼女の人生が一変します。
結婚する前から、旦那さんのお母さんがパーキンソン病に罹っていることを知っていました。ゆくゆく病状が悪化することがわかっていました。その義母と同居する予定だったので、なんと!介護が必要になる日に備えて、ヘルパーの資格を取ったというのです。「いまどき」そんな話は聞いたことがありません。


結婚して1年後には子宝に恵まれましたが、お義母さんの症状がだんだん進み始めます。最初は歩くのがおぼつかなくなり、やがて寝たきりになって「お風呂の介助」や「おむつ交換」まで彼女がするようになりました。もちろん、家事や子育てをしながらです。

「よくできましたね。辛くなかったですか。介護を拒否したり、逃げたしたりしようと思わなかったんですか?」と尋ねると、一言。
「別に何とも思いませんでした。それが当たり前だと思っていましたから。そして義母は本当に尊敬できる存在でしたから」

さらに追い打ちをかけて苦難が襲う

そんな忙しい日々の中、「おや?おかしいな」と思うことが多々ありました。お金の動きがおかしいのです。

気が付くと、旦那さんが社長をしていた会社が破綻寸前の状況にまでなっていたのです。にもかかわらず、旦那さんは現実逃避まっしぐら。仕事にも家族にも向き合うことができません。会う度に、弾けるような「笑顔」を見せてくれる水谷さんですが、この時ばかりは笑顔が消えたといいます。
彼女は3歳になる娘さんを連れて、実家へ戻ってきました。実家は裕福です。普通は、両親に経済的に面倒を見てもらい子育て中心の生活をするのではないかと思います。ところが・・・、彼女は、旦那さん(当時、離婚裁判中)が放り出した会社(朝日工業株式会社)の社長になり、立て直しすることを決意します。その時、会社創立5年目で、年商5.000万円でなんと1.500万円の赤字だったといいます。


「なんで社長に?信じられないです」と問うと、こんな答えが返ってきました。
「お客様をはじめお世話になったたくさんの方々に対する責任を感じたのです。他に選択肢はありませんでした」


「でも、専業主婦で経営の経験はないのでは?大変なことだとか思いませんでしたか?」
「はい、まったくの素人でした。でも、必死過ぎて大変とも思いませんでした。父親をはじめとして親戚も経営者が多くて、幼い頃から仕事とは大変なものだという環境の中で育っていたので、当然のことと思っていました」
と、またまた信じられないような言葉が返ってきました。

ゼロ・・・どころかマイナスからのスタート

とは言っても、経営の知識もノウハウもありません。子供の頃から、「泣けば助けてくれる」と思っていた父親に相談すると、こう言われたそうです。
「一切口は出さない。現場も見に行かない。悩みも聞かない。でも、お前に三人の師匠を授けよう」
そして、父親の会社の経理部長を紹介され「お金」の勉強をましました。二人目の師匠は、営業のプロ。もう一人は現場に精通した人物で、この人に工場長になってもらいました。


そこから、水谷さんの新たなる苦難が始まりました。
もっとも、「別に何とも思いませんでした」と笑っておっしゃるのですが・・・。