続・建設業で本当にあった心温まる物語②

 建設業は3K(きつい、汚い、危険)と言われる不人気業種です。その上、容易に一人前になれる仕事ではありません。でも、そこで働く人々がいます。3Kと承知で「建設で働きたい」と言う若者もいます。そこには、他業種以上に「なぜ望んで、その仕事に就いたのか?」「辛い時、苦しい時、どうやって乗り越えて来たのか?」とドラマが潜んでいます。

 建設コンサルタントの降籏達生さんは、建設業に携わる人たちの「心温まるいい話」を長年にわたって募ってきました。日刊建設工業新聞で連載されたエピソードをまとめた「続・建設業で本当にあった心温まる物語」から、紹介させていただきます。

~早く手術して現場に戻ってこい~

     株式会社豊建   水野陽介(愛知県)

 入社して 1~2 年のころ、まだ現場管理がどういう仕事なのかよく分からないまま、現場の職人さんにいろいろな迷惑をかけながら仕事を続けていました。そして3年目になるころ、私の左足大腿骨の中に腫瘍が見つかりました。

 治療のため、現場管理の仕事からは離れて社内での業務がメインとなりました。病気の治療がはじまり、松葉づえ生活になってしまいましたが、すぐに治癒し現場復帰するものだと思っていました。しかしそんな生活が2年、3年と長くなると不安がつのってきました。そして現場管理の仕事にブランクができたことで、現場に戻ることが怖くなってきました。

 松葉づえ生活をはじめて4年がたったころに治療の進展がこれ以上見込めないとのことで手術を行うこととなりました。腫瘍が転移してしまえば足の切断もありえるとのことだったため、不安でいっぱいでした。

 手術のため入院した際、知らない番号から電話がかかってきました。だれだろうと思いながら出てみると、5年前に一度仕事をした職人さんの声が聞こえてきました。

 「早く手術して現場に戻ってこい」。そのぶっきらぼうな、しかし温かい声に、涙が出るほどうれしく思いました。その言葉を聞いて、不思議なくらい元気と勇気が湧いてきました。現場復帰への不安はなくなり、「なんとしても

 その職人さんにはいまだに迷惑をかけてばかりです。しかし、いただいた電話のご恩を返すためにも、お役に立てるような施工管理技術者になる決意です。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 私も、サラリーマン時代に、忘れられない思い出があります。入社したての頃、二回りほど年上の先輩がいました。おせっかいというか、世話焼きというか。なんでもかんでも、私の行動に口をはさんでくるのです。口には出しませんが、正直、「めんどうだな」と思っていました。それから10年ほどが経ち、私は苦境に立たされていました。上司からのパワハラ(当時はそんな言葉すらない)に遭い、会社に行くことすら辛くて辛くてたまらない日々を送っていました。

 そんなある日、「あの先輩」が「昼飯行こうか」と声をかけてくれました。そして・・・、

「なんかイジメられてるんじゃないのか?俺が話つけてやろぞ」

もう私は泣きそうでした。