名店『四日市柿安』の試み

(その1)~経験からしか人は学べない

クレームを恐れていては「おもてなし」はできない

 ザ・リッツ・カールトンホテル大阪で勉強会をさせていただいた時、不躾ながらスタッフの方にこんな質問をしました。

 「リッツ・カールトンと言うと、お客様の誕生日にサプライズのプレゼントをして喜んでいただくようなサービスが有名ですが、反対にそれがクレームに繋がることはありませんか?」

と。すると、こんな答えが返ってきました。

 「もちろん、『余計なことはするな!』とお叱りを受けることもあります。でも、だからと言って、止めたりはしません。お客様にどうしたら喜んでいただけるか。一見『おせっかい』とも思えることを日頃し続けることから、『おせっかい』と『おもてなし』の境界線が身を持ってわかるようになるのです」

 なるほど、と頷きました。クレームばり恐れていては、お客様に感動していただけるような「おもてなし」はできません。「そんなことしたら、おせっかいと言われるかも」と臆病になっていたら、サービスは減退するばかりです。

注文のお酒を探し回る

 さて、すき焼き、しゃぶしゃぶで有名な三重県の四日市柿安(近鉄百貨店10階)でのお話です。

 ある日、お客様から、メニューにはない銘柄のお酒の注文がありました。若い男性スタッフは、「少しお時間をいただけますか?」と言い、店を飛び出しました。まず訪ねたのは、近鉄百貨店内の食料品売り場でした。しかし、要望のお酒は置いてありませんでした。百貨店を出て、近くのコンビニを次々と三軒回りましたが、やはり扱っていません。徐々に輪を広げて、ついに少し離れたところにある酒屋さんで見つけ、店に戻りました。

 女将の赤塚直子さんは、早速、お客様のところへ行きました。ただし、手にはお酒は持たずに。

 「大変お時間が経ってしまいましたが、お飲物のご用意ができました。いかがいたしましょうか」

とお声を掛けました。しかし、残念ながら、

 「もう結構です」

というご返事。なにしろ、注文をいただいてから1時間半も経っていたのですから仕方のないことかもしれません。

「これからもどんどんやりな」

 でも、女将の赤塚さんは、喜び勇んで息せき切って帰って来た男性スタッフにこう言ったそうです。

 「『わざわざ用意してくれたんだ』と、感謝してくれるお客様ばかりじゃないってことよく覚えておきなさい。でも、あなたが、何軒も回って買いに行ってくれて、私は嬉しかったよ。ありがとうね。これでがっかりしたらダメだよ。これからもどんどんやりな。わかったわね」

 赤塚さんに尋ねました。「そのお酒は無駄になりませんか」と。すると、こんな答が返ってきました。

 「私が、もしも、そのお酒を手にして客席へ出向いたなら、『いらない』言われた時でも『せっかく買って参りましたからどうぞ』と無料で差し上げることになります。お客様は『ただならもらっとこうか』とおっしゃるかもしれません。でも、押し付けのそんなサービスを受けても嬉しくないに違いありません。口をつけずに残されることも考えられます」

 スタッフには、こう指導したそうです。

 「苦労して買ってきたお酒は、ストックしておいてください。きっと、また、そのお酒が飲みたいとおっしゃるお客様が現れます。そのお酒は、無駄になったのではないのです。あなたが、今日のように走り回って探して来てくれたこと。そんなお客様目線で『おもてなし』を繰り返すことが大切なのよ。経験からしか人は学べません。一歩先んじたサービスは、ひょっとすると『おせっかい』になるかもしれなません。それでもどんどん『おせっかい』をして、経験を積んで、『おせっかい』と『おもてなし』の境界線を見極め、感じとれる人間になってね」

飲みたいとおっしゃるお客様が現れます。そのお酒は、無駄になったのではないのです。あなたが、今日のように走り回って探して来てくれたこと。そんなお客様目線で『おもてなし』を繰り返すことが大切なのよ。経験からしか人は学べません。一歩先んじたサービスは、ひょっとすると『おせっかい』になるかもしれなません。それでもどんどん『おせっかい』をして、経験を積んで、『おせっかい』と『おもてなし』の境界線を見極め、感じとれる人間になってね」

マニュアルとは「ここから何ができるか」

 マニュアル通りにやっていれば、クレームは起きないかもしれません。いや、いくらマニュアル通りにしていても、お客様に100%満足していただくことは不可能ですから、クレームは無くなりません。

 マニュアルとは、「そこまでやればいい」という線ではないのです。「ここから何ができるか」という、スタートラインなのです。 たしかに、男性スタッフの苦労は水の泡となりました。しかし、けっして無駄ではない。そんな一見、空振りと思われる「おもてなし」の心の積み重ねの結果が、「名店」と呼ばれる所以なのでしょう。

(その2)~「take」がなくてもがっかりしない

前項(その1)では、お客様のために尽くしたつもりだったけれど、それが「実らなかった」というエピソードを紹介しました。それでも女将の赤塚さんは言います。「これからもどんどんやりな」
と。その赤塚さん自身の「おせっかい」の試みを紹介しましょう。

置き忘れた箸袋

 柿安・近鉄四日市店で、家族連れのお客様が誕生日パーティーを開かれた時のことです。お父さんの誕生会に、みんながプレゼントを持ってきました。ところが、息子さんの一人(二十代後半)が、何も持って来ていませんでした。忙しくて用意できなかったのか。それとも、慌てていて忘れて来てしまったのか。

 プレゼントを手渡す段になり、息子さんは手元の箸袋を開き、裏面にペンで何やら書き始めました。そして、お父さんに手渡しました。お酒が入って少し赤くなったお父さんの顔に笑みが浮かびました。きっと、ステキな誕生日のメッセージが書かれているに違いない。赤塚さんは、幸せそうな親子の様子に幸せな気分になりました。

 さて、閉店後しばらくしてのことです。誕生日パーティのお父さんから店に問合せの電話が入りました。息子さんからもらった箸袋をテーブルの上に忘れて来てしまったというのです。一旦、電話を切り、後片付けをしたスタッフと共に3人でゴミ箱をひっくり返して探しましたが、残念ながら見つかりませんでした。

 改めて電話で「ありませんでした」と報告。しかし、電話を置く時、お客様の「机の上に置いたんですけどねぇ」と言う残念そうな言葉が心に残りました。

お父さんは幸せですか

 その夜、赤塚さんは眠れませんでした。
「もう一回探したらあるかも。市のゴミ集積場へ持っていかれてしまったらもう探せない。その前にいかなくては。あの時もう一回探していたらあったかもなんて後悔は絶対いや!」

 朝6時半に「よし!もう一回だ」と家を出ました。「いいの、なかったらなかったで、あきらめがつくから」という思いで、冷たい空気を肌に感じながら「全部自分の目で一つ一つ見よう。とにかく見よう。」そう誓って向かいました。

 柿安・近鉄四日市店は、近鉄百貨店の中にあります。百貨店全体のゴミ集積場に行き、膨大なゴミの山から、まずは柿安のゴミを探し出します。次に一つずつ開封して、一つずつのゴミをこの目で確認しながら別の袋に移す作業をしました。

 すると!あったのです。息子さんがメッセージを書いた箸袋が!それは、タバコの空き箱の中に折り畳んで詰め込まれていました。見つかったことでホッとすると、喜びで涙が出てきました。赤塚さんは、一人ゴミ置き場で「よかった、あった」と呟きました。

 そこには、こんなメッセージが・・・。

 「お父さんへ。お父さんは幸せですか。僕は幸せだよ・・・・・」

 子供が幸せであることが、親にとっては最大の幸せ。自分は幸せだと言い切っている。そしてお父さんの幸せを願って最後を結んである。本当にそう思わないと書けない温かいいい文章でした。 早速、お父様に連絡し喜んでいただけました。

このままでは後悔する

 さて、もう一つのお話。

 食事をされて帰ろうとしたお客様から、「傘がない」と言われました。入口の傘立てに置いておいたものを、色がそっくりなので他のお客様が間違って持って行かれたようでした。

 「あれは24本骨という特別の珍しい傘で、気に入っていたんですが・・・」と残念そうな表情をされました。「気が付かれて返しに来られたら連絡させていただきます」と伝えました。しかし、その傘は戻りませんでした。女将の赤塚さんは、ずっとお気に入りの傘を無くされたお客様の寂しげな顔が心に残っていました。

 ある日のことです。街を歩いていると、ふと店先に貼られた一枚のポスターが目に飛び込んで来ました。「世界初24本骨のジャンプ傘」とあるではありませんか。

 「おせっかいだろうか」「いや、でも、このままでは後悔する」と葛藤しつつも、その傘を購入しました。そして、傘を無くされたお客様の会社まで訪ねて行き、「よかったらお使いいただけると嬉しいです」差し出しました。「いやぁー、かえって悪いなぁ。高かったでしょう。いいのかな、もらって」と、お客様は恐縮しつつも受け取っていただけたそうです。そして、そのお客様は、その後、特別に御贔屓いただけるようになりました。

 

 赤塚さんは言います。

 「お客様に一生懸命に『ギブアンドギブ』する。もしも、喜んでいただけたらお客様の笑顔が『テイク』。ギブしたものが帰って来たということです。でも、『テイク』がなくてもがっかりはしません。見返りを期待せずコツコツと『おせっかい』を続けていきます」