「日本一のおもてなし」目指して 第1話「感動シート」 

すき焼き、しゃぶしゃぶで有名な三重県の四日市柿安では、毎月一度、スタッフ全員から女将宛に「感動」した話を報告してもらっています。
○「自分の体験で、お客様に喜んでいただけたこと」
または、
○「普段の生活の中で、自分がお客様として、『ああ、いいサービスだな』と思ったこと」
 (レストランやホテル、電車などどこでも)
などのエピソードを「感動シート」という紙に書いて、ティッシュペーパーの空き箱で作った投函箱に入れてもらいます。

 その中から、志賀内の琴線に触れた「いい話」を紹介させていただきます。

(その1) 「徳を積む」

四日市柿安の調理場に勤めるSさんが、お孫さんと散歩に出掛けた時の話です。
彼岸花の咲く田んぼのあぜ道には、お弁当の空き容器と思われるゴミが落ちていました。以前から目に付いており、ずっとそのままになっていました。
「誰が捨てたんだろう」
と、Sさんは、それを見る度に腹立たしくなりました。
ところが、近所に住む男性が、そのゴミを拾い自分の家のゴミ袋に入れるのを目撃しました。
Sさんは、気付いていながら拾えなかった自分が恥ずかしくなり、男性に駆け寄り、自分が拾えなかったことを謝りました。
すると、男性は黙って優しい笑顔を返してくれました。
さて、帰宅して新聞を広げると、いつも真っ先に読む運勢の自分の干支の欄に、こんなことが書かれていたといいます。

「人知れず隠れて徳を積んだ人の元に繁栄はあり」

すぐに思と出したのは、あの男性のことでした。
「男性に感謝するとともに、私もできる限り、人のためになることをしたいと思いました」
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志賀内泰弘

・・・というお話です。
ゴミってなかなか拾えないものです。
パッと拾う人がいると、それだけに頭が下がります。
志賀内は、「なぜ「そうじ」をすると人生が変わるのか?」(ダイヤモンド社)とい
う本まで書いているにもかかわらず、拾えずに「見て見ぬフリ」をして通り過ぎることがあります。
だから・・・こういうお話には、ホント!耳が痛いです。
反省しきり。

(その2) 「俺に返す必要はない」

「おやじさん」
 私が若い頃は、料理長の事を皆がそう呼んでいました。私も当たり前のように「おやじさん」と呼んでいました。後になっていろいろ考えました。「なぜだろう?」と。16~18歳くらいの大事な子供を、本当の親から預かり、技術を仕込み、私生活の管理をし、本当の親以上に育てあげるからだと、私なりに理解しました。私も「おやじさん」に良くしてもらったので、「私にできることを何かお返ししたいと」言いました。
 すると、おやじさんは、「俺に返す必要はない。お前が俺の立場に立ったら、同じことを若い子にしなさい」と。その言葉が、今でもよみがえります。

志賀内泰弘

 これこそが「恩送り」の真骨頂ですね。昔、修業した頃の「おやじさん」の言葉を今も、胸に刻んで働いている。そして、その「恩」を次の人たちへと紡いでゆく。遠回りですが、みんなが確実に幸せになれる方法です。

(その3) 「一匹のカタツムリ」 

新緑、若葉の季節。孫と桜並木の道を散歩していたときのことです。
道路の中ほどで、何やら小さなものがゆっくりと動いているのを、孫が見つけました。近づくと、それはカタツムリでした。
孫は、
「バーバー、カタツムリさん、道路にいると車にひかれちゃうよ」と言いました。わたしは、そっと手で持ち上げて、道路脇にあった木の葉の上に移してやりました。
公園には、色とりどりの花々が咲き、木々の若葉は美しく、四季が移ろう中、蝶が飛び交うなどして、「小さな命」が誕生していることが実感できました。私も孫も晴れ晴れとした休日でした。

志賀内泰弘

 やさしいお孫さんですねぇ。思わず微笑んでしまいました。大人になると、「忙しい」が口癖になり「自分のことで精一杯」で、カタツムリの存在も目に入らなくなるのかもしれません。いや、ゆっくりと公園を散歩することも少なくなる。「やさしい気持ち」って、「ゆとり」から湧いて来るのかもしれませんね。少々、反省です。

(その4) 「コインパーキングの500円玉」川越なまみさん 

雨に打たれた新緑が生命力にあふれる5月のある朝のことでした。
コインパーキングから出庫しようとすると、前の車がなかなか進みません。バーの手前で動かないのです。よく見ると、精算機に何度も千円札を入れ直しているのですが、吸い込まれなくて困っていようでした。雨でお札が湿ってしまったためと思われました。
私は、500円玉を手にして車を降り、前の車に駆け寄りました。そして、精算機に500円玉を投入してすぐさま自分の車に戻りました。こういう場面にときどき出会っていたため、いつも車の中には500円玉をいくつか用意していたのです。
別に自分の自慢話をしたいわけではありません。
実は、私がこのようなことができたのも、同じ職場の福田さんの「思いやり」ある日頃の行動を目の当たりにして感化されたおかげなのです。
「いつか」と思って用意していた500円玉が、人の役に立ててうれしく思いました。

志賀内泰弘

 こういう人に何人か出逢ったことがあります。会社に、何本か置き傘をしている人。カバンに3本ほどボールペンを忍ばせている人。いくつかポケットテッシュを持ち歩いている人。すべて、人の役に立つためです。でも、そんな場面に遭遇することは稀。いや、一度も訪れないかもしれません。それでも、「いつか」のために心掛ける。500円を差し上げるのは、人によってはちょっとばかり勇気がいるかもしれませんが、きっと予想外のことにメチャクチャ喜ばれたに違いありません。