志賀内泰弘著「No.1トヨタのおもてなし レクサス星が丘の奇跡」PHP研究所より一部抜粋

第一章「お辞儀」ひとつで、ファンになる、「挨拶」一つで人生が変わる!

1000人のお客様の名前を覚えている警備員

 レクサス星が丘の入口には、「まえがき」でも紹介したように、ホテルのドアマンに似た制服を身にまとった警備員が立っている。背筋をピンと伸ばし、お客様を一人ひとりで迎える。もちろん、警備員なので、歩行者と入庫する車の安全に務めるのが第一の仕事だ。

彼の名前は、早川正延という。
 早川さんは、以前、警備会社に勤めていた。そして、レクサス星が丘がオープンして3年目に、レクサス星が丘の警備員として派遣されて来た。最初の頃は、普通のどこにでもいる警備員の制服だったが、会社の方針で一流ホテルのドアマンに似せた制服に変更されていた。
 警備員の格好といえば、少し警察官の制服を模したようなデザインで、誰が見ても「あっ警備員だ」とわかる。しかし、けっしてオシャレとは言えない。ましてや、レクサスの高級感とは相反するものがある。そこで、異例ではあるが、レクサス星が丘側からの強い要望により特別にホテルのドアマンを意識したデザインの制服に変更したのだ。
 名古屋の夏は暑い。連日、35度が続くことも珍しくない。名古屋には、沖縄から仕事でやってきた人が多い。彼らが驚くのは、名古屋の蒸し暑さだ。湿度が高いので息が苦しくなるほどだ。そして口を揃えて言う。「ここは沖縄よりも暑い」と。
 冬も寒さが厳しい。関ヶ原の向こうの伊吹山から、「伊吹おろし」と呼ばれる乾燥した冷たい風が吹き込んでくる。
 そんな名古屋で、早川さんは朝の9時から夜の7時まで、ただただ、レクサス星が丘の前でお客様を出迎え、お見送りするという仕事をしていた。

 レクサス星が丘のスタッフは全員、インカムのレシーバーを身につけている。もちろん、早川さんも。お店の中から、ときおり、こんな声が聞こえてくる。
 「山田様が、もうすぐ到着されるとお電話がありました」
 「ああ、奥様もご一緒ですか」
 「はい、お嬢さんも。ご家族みなさんで」
 どうやら、接客のアソシエイトの女性と、セールスの男性スタッフが離れた所で連絡を取り合っているらしい。
 ここで、早川さんは記憶の糸を手繰り寄せる。
 (たしか、山田様は、LSのハイブリッド車に乗っていらっしゃったな。色はホワイト)
 別に、お店の中のスタッフにインカムを使って聞き返すわけではない。いつもご家族3名でいらっしゃることが多いので印象強く、思い出すことができたのだ。
 しばらくして、LSのハイブリッド車が東山通りから左折して入ってきた。少し車に歩み寄ると、運転席の窓が開く。
 「どこへ停めたらいいかな」
 「はい、山田様。こちらへどうぞ」
 その時、オーナーである父親だけでなく、奥さんも娘さんも「え?」という表情をする。
 (なぜ、この警備員さんは、私たちの名前を知っているんだろう)

 早川さんは、いつもインカムから聴こえてくるスタッフたちの声に聴き耳を立てている。
 「〇〇様が、ブレーキの具合がおかしいので診ていただきたいそうです」
 「GM、〇〇様がお帰りになられる前に、ご挨拶をとおっしゃっておられます」
 「〇〇様が事故に遭われて、相談に乗っていただきたいと電話がありました」
 それは、特別に意識してのことではないという。
 どうせお客様を入口でお迎えするのなら、「どこのどなた」ということがわかっていた方がいい。だんだんとお客様の名前を覚えるようになってしまった。そうすれば、ただ、お辞儀をするにしても、心の中で「山田様いらっしゃいませ」と口ずさむことができる。要は気持ちの問題。もし、機会さえ恵まれていれば、このように直接名前を呼んで挨拶することもできる。

 そんなことを続けていると、お客様の中には早川さんの顔を覚えていてくれて、帰りがけに車内から手を振って下さる方もいるという。ときには、「こんにちは」「暑いのにたいへんですね」などと短い会話に発展することもある。そうして、顔見知りのお客様と知らず知らずのうちにコミニニケーションを交わすようになっていった。一警備員ではあるけれども。
 出社時間は9時30分だが、早く来られて待っているお客様もいるので、早めに出勤してオープン前の9時頃には表に立つようにしているという。
 車が入ってくると、駐車スペースまで先導して走って案内する。そして、ドアを開けて「いらっしゃいませ。〇〇様」と挨拶する。
 出庫のときには、インカムで「〇〇様がこれから裏口から出られます」と聞くと、裏口までダッシュで駆けて行き、お見送りする。基本的に、テールランプが見えなくなるまでと心掛けて。もっとも名前を覚えてしまうと、「このお客様は裏口から」とわかっているので、先取りして動くことができるとのことだ。

 そんなふうにして、おおよそながらも覚えてしまったお客様の名前は・・・。
 なんと!1000人。
 名門ホテルのドアマン顔負けの数である。ただし、受験勉強のように机に向かって暗記したわけではない。だから、クイズのように「〇〇様のナンバーは?」と椅子に座っていて、いきなり尋ねられても答えられるとは限らない。車種や色、お客様の顔や声などを見たり聞いたりした時に、連想ゲームのようにパッと名前が出てくるのだという。

お店の前を通る、すべてのレクサスにお辞儀をする警備員

 そのうち、早川さんは、お客様に挨拶をするのが楽しくなった。
 ただ、ここに立っているだけではつまらない。もっと何かできないか。そんなことをぼんやりと考えるようになっていた。
 そんなある日のことだった。
 目の前を通り過ぎて行くレクサス車にお辞儀をしたのだ。今、振り返ってみても、一番最初の時のことはあまり覚えてはいないという。なぜ、お辞儀をしようと思ったのか。
 今から思うに・・・(首を傾げつつも)、それは「感謝の気持ち」だったように思うとのこと。早川さんは、レクサス星が丘で働いている。給料をもらって生活している。しかし、セールスやアソシエイトのようにお客様と話す機会はほとんどない。でも、レクサスを愛している。レクサス星が丘のお客様に何とか自分の感謝の気持ちを伝えたい。
 それが、お辞儀という形になったというのだ。
 ここで、率直な疑問をぶつけてみた。
 「目の前を通るレクサスは、あなたのお店で購入された車とは限りませんよね」
 「はい、その通りです」
 「ということは、感謝の気持ちを伝えたいとは言っても、他の販売店で購入されたレクサスという可能性もありますよね。それとも、早川さんは、ナンバーを覚えるのと同じように、遠くから見ていてレクサス星が丘のオーナーの車だと見分けることができるのですか」
 「まさか・・・それは無理です。だから正直、その点にどこかしら迷いはありました」
 愛知県内には、他に15か所のレクサス店がある。東名高速のインターチェンジが近いことから、他府県のレクサス店で購入された車という可能性も高い。いずれも、レクサス星が丘とは経営母体が異なる。そして、同じレクサスの販売店同士とはいえ、ライバル関係にある。
 早川さんは警備という仕事柄か寡黙だ。初対面では、朴訥で誠実という印象を受ける。尋ねるうちに、ぽつりぽつりと、こんな話をしてくれた。
 「たしかに、うちのお店のオーナー様かもしれないし、そうではないかもしれませんね。わからないけど、とにかく『レクサスに乗って下さり、ありがとうございます』という気持ちを伝えたかったんです。特にうちの店の車でなくてもかまわない。買ってください、というようなセールス的な意味があるわけではなく、ただただ、感謝の気持ちで・・・」

一日に1000台!

 ここで実際に、早川さんの仕事ぶり(もちろん、お辞儀の様子)を拝見させていただくことにした。
 レクサスを目の前を通り過ぎる車の中に認めると、そちらの方へと立ち位置をちょっと移動させ、腰を折って一礼する。写真を撮って角度を測ってみると、倒す角度は55度。かなり深いと言ってもいいだろう。よくよく観察していると、上目づかいにチラッと過ぎゆく車を視線で見送っているのがわかる。僅かだが、顔の向きも車を追いかけているかのようだ。まるで、「気」を送っているかのようにも見える。
 ただ、想像以上に頻繁にレクサスが通ることには驚かされた(こんなにも高級車に乗っている人が多いのか!)。すぐ近くの、星が丘三越前の信号の変わるタイミングを計ってみると、赤信号が2分20秒、青信号が1分10秒で変わることがわかった。
 早川さんは、何度か一回の信号の変わるタイミングで、何台のレクサスが通るかを数えたことがあるという。平均すると、7~8台だったとのこと。
 朝の9時から夜の7時までの10時間で単純に換算すると、1371回のお辞儀をしている計算になる。もっとも、休憩時間もあろう。裏口からの出入庫に案内など、表にいないことだってある。それでも一日におけるお辞儀の数は1000回は下らないだろう。
 次から次へと続けてレクサスが走って来る場合には、ペコッペコッと、小刻みに。一台も飛ばすことなく、あくまでも個別にお辞儀をする。
 週休二日として、月に2万回、年に24万回になる。
 とにかく、すべてのレクサスにお辞儀をするというのが早川さんのモットーなのだ。 
 失礼ながら、ふと頭に浮かんだのは「愚直」という言葉だった。「愚」という漢字が入っているので、良い意味には捉えにくいかもしれないが、お辞儀一つをここまで徹底できる「愚直さ」に「誠実さ」を覚えるのは私だけではないだろう。
 笑い話ではないが、早川さんはプライベートで散歩しているときにも、レクサスを見かけると、ついついお辞儀をしてしまうという。 ドライバーの「何事か?」と驚く表情が目に浮かぶようだ。

お辞儀にお礼の手紙が届く!

 もちろんそれは、上司の指示ではなく、早川さんが自発的にやっていたことだった。
 ただただ、お辞儀をし続けた。
 早川さんも、
 「挨拶をしても、そんなに意味はないのかな~って、自分でも心の中で思うこともありました」
と本音を打ち明けてくれた。
 ところが、である。
 ある日、突然に見ず知らずの人からレクサス星が丘に一通の手紙が舞い込んだ。それは、こんな文面だった。

前略

 突然手紙を差し上げます失礼をお許しください。
 私は、昭和区在住の〇〇と申します。愛車はGS250で、お世話になっている営業所はレクサス昭和です。
 なぜ、突然手紙を出させていただいたかと申しますと、どうしてもこの感激をお伝えしたく、お手紙しました。
 レクサスを愛車として一番良かったと思う瞬間は・・・
 実は、運転して、星が丘のレクサスの前を通過するのです!
 何回通っても感激するものです。本当にレクサスを選んで良かったと思います。
 まだまだ寒い日が続きます、お風邪等に気をつけてお仕事頑張ってください。 
 いつもいつもありがとうございます。

草々

 この手紙の主は、ひょっとするとレクサス星が丘とレクサス昭和の経営者が異なることを知らないのかもしれない。いや、オーナーにとって、そんなことは関係のないことだろう。
 また、早川さんが、レクサス星が丘の正社員ではなく、警備会社から派遣されてきた警備員であること。さらに、誰の命令でもなく、自分の意思で始めたということもご存じないはずだ。
 しかし、早川さんの「レクサスに乗って下さるすべての方に感謝したい」と言う気持ちが伝わったのだ。

 実は、このように手紙は一通だけではないという。メールも含めて何通も「嬉しかった」「ありがとう」という感謝の気持ちがレクサス星が丘には何通も届けられている。
 自ら始めたこととはいえ、戸惑いのあった早川さんも少しずつ自信が出て来た。
 「お客様に『ありがとう』と言われると、楽しくなるんですね。知らないうちに仕事全体の励みにもなる。すると、もう途中で止めるわけにもいかない。もうちょっと頑張ってみよう、もうちょっと・・・なんて思っているうちに今日まで続いてしまったんです」
 手紙までとはいかなくても、頻繁にリアクションがあるという。
 例えば、こちらがお辞儀をすると、明らかにこちらを向いて手を振って下さる人。
 通り過ぎる瞬間に、ハザードランプをチカチカっと点滅させて合図を送る人。
 中には、3車線の真ん中を走っているにもかかわらず、歩道寄り車線変更をして視線で挨拶して下さる人もいるという。
 なんて素晴らしい!
 言葉は一言も交わさない。にもかかわらず、感謝の心が通じていている。これこそ究極の「コミュニケーション」ではないだろうか。