「№1トヨタの心づかい レクサス星が丘の流儀」より一部抜粋

第一章より 一部抜粋

全国から、海外からお辞儀を見に来る

 2014年に執筆した拙著「№1トヨタのおもてなし レクサス星が丘の奇跡」はベストセラーになった。CS(顧客満足度)がすこぶる高く、ネットでは「キング・オブ・レクサス」なる称号で呼ばれていたレクサス星が丘店は、テレビ、新聞、ネットニュースなど多くのマスメディアに取り上げられた。

 その際、決まってトップを飾るのは警備員の早川正延さんの「お辞儀」のポーズだった。早川さんは、雨の日も風の日も、レクサス星が丘店が面する東山通りを走り来るレクサスに、まるで敬礼のように「お辞儀」をする。それは、レクサス星が丘店で購入されたお客様の車とは限らない。いや、ライバル他社のレクサス販売店のオーナーの車の方が、圧倒的に多いに違いない。それでも「レクサスに乗って下さるお客様に感謝の気持ちを伝えたい」と、早川さんはお辞儀をする。その数、日に1000台。もっとも、今はその倍以上に増えているだろう。お辞儀をされたレクサスのオーナーのみならず、その姿を見た人たちの心に感動を与えたのだった。

 こんなエピソードがある。誰もが知る、ある大企業の創業社長さんに、最高級車種LSのエンジントラブルで迷惑をかけてしまった時のことだ。明らかに店側の責任ではあり、その対応が後手に回ってこじらせてしまった。なかなか許していただけず、平身低頭当で謝るしか方法がない。何度もお詫びに伺うと、社長がこう切り出されたという。

 「僕はね、毎朝出勤するときにね、実は、レクサス星が丘の前を通るんだよ。そうするとね、店の前に立っている彼がね、お辞儀をしてくれるんだよ、毎朝、毎朝ね。運転手がいるから、僕はいつも彼の方を見ることができるんだ。なんとも気持ちがいい。感心するよね、いつもいつも・・・。あの彼に免じて、今回のことはなかったことにしてあげよう」

 そんな誠意あるお辞儀の姿は、当時から星ヶ丘の近辺では「知る人ぞ知る」存在だったが、それが拙著の発売で全国区となった。レクサス星が丘店には大挙してお客様が押し寄せた。もちろん、車は売れに売れたのだが、「おもてなしの極意を見学したい」という人々の姿も多かった。

 筆者も、こんな場面に遭遇して面を食らったことがある。

 あれは、拙著が発売となって3か月ほどが経った頃だった。取材に応じて下さったお礼をと、久しぶりにレクサス星が丘に早川さんを訪ねた。店頭から洗車場へと続く少し奥まったところで、早川さんと立ち話をしていると、通りから一台のレクサスが入って来て、入口で停車したのが目に留まった。通常ならば早川さんが車に駆けて行くところだ。私が早川さんと話をしているのを店内で見ていたアソシエイトの女性が外へ飛び出し、そのレクサスに駆け寄った。

 車の窓が下がり、ドライバーと何かを話している。しばらくすると、アソシエイトがこちらへ駆けて来て言った。

 「あちらのお客様は、埼玉県からお越しになられたそうなのです。『レクサス星が丘の奇跡』の本をお読みになれられて、警備員の早川さんのお辞儀が見たくてなったとおっしゃられて。嬉しくて、つい『偶然ですが、あそこにいらっしゃるのが著者の志賀内さんです』って口を滑らせてしまいました。申し訳ございません」

 すると、そのレクサスのドアが開き、40代の真面目そうな男性が降りて私たちの所へやって来た。近所に気軽に散歩に出掛けるようなポロシャツにスニーカーのラフな格好だった。手には「レクサス星が丘の奇跡」を持っている。車のナンバープレートに目を遣ると「川越」とあった。おそらくノンストップでも5時間近くはかかると思われた。

 男性に「サインしていただけますか?」と頼まれ、恥ずかしながらもそれに応じた。「この本を読んだら、居ても立ってもいられず高速に乗っていました」とのこと。作家冥利に尽きた。

 これは、ほんの一例に過ぎない。ある時、レクサス星が丘店に、精密機器メーカーの社名が書かれたワゴン車がやって来た。もちろんレクサスではない。車から3人のスーツ姿の男性が降りて来て、上司らしき恰幅の一人が言った。

「さっき、名古屋支社への出張で東京から着いたところです。新幹線の中で、この本を読んで感動してしまって。支社に着くなり、営業の二人を引き連れて来たのですが、おもてなしの勉強に警備員さんのお辞儀を見学をさせていただけないでしょうか」

 またある時、レクサス星が丘店に片言の日本語でこんな電話がかかって来た。

「見学に伺ってもよろしいでしょうか。私は上海レクサスの店長をしています」

 翌日、本当にやって来たので、さすがにスタッフたちも驚いてしまったという。

お辞儀にはマニュアルがない

 今回、久しぶりに早川さんとテーブルをはさんで、ゆっくり話を伺った。今も正社員として、警備の仕事をしておられる。この7年間、幾度もレクサス星が丘店を訪れてはいるが、挨拶程度だったので楽しみで仕方がなかった。開口一番、こう伺った。

「その後、お辞儀はいかがですか?」

すると、「う~ん」と声にもならない呻き声を出して首を傾げた。寡黙でおしゃべりが苦手なのは変わっていない。

「今も店の前を通るレクサスにお辞儀をしていらっしゃるんですよね。そのお辞儀に何か進化はありましたか?」

「進化?」

「はい、さらに向上したというか、変わったところはありますか?」

 ようやく早川さんが、重い口を開いた。
「たぶん何も変わっていないとは思うんです。でも僕・・・なんか緩んでいるなって・・・」

「え?緩んでいるってどういうことですか」

「スピードとか角度とかが、ちょっと」

「スピードってどういうことですか?」
ポツリポツリと語る早川さんの話は、こういうことだった。

 マスメディアで脚光を浴びた7年前から、ずっと今のままのお辞儀の仕方でいいのか、迷い続けているという。

 ある日のことだ。たまたま利用する機会に恵まれた高級レストランで、早川さんはスタッフのお辞儀が気になって仕方がなかった。食事は二の次で、「どんなお辞儀をするか」ばかりを観察してしまう。そのお辞儀に「これは素晴らしい。いい気分になれる」と思い、それを早速、翌日真似てみる。だが、どうもしっくり来ない。

 またある時、早川さんがテレビを見ていたら、東京の一流ホテルの玄関が映った。ベルボーイが、お客様をお迎えする際のお辞儀に感銘を受けた。いかにもスマートで敬意が画面からでさえも伝わってきたのだ。そのお辞儀を真似てみる。何度も何度も、やってみた。しかし・・・やっぱり違う。あれこれと「素晴らしい」と思える一流ホテルやレストランのお辞儀から学ぼうとするが、なかなか自分のものにできないというのだ。

 「私は、東山通りを走って来られるレクサスに向かってお辞儀をしています。その車のスピードは千差万別です。通勤時に渋滞気味のこともあるし、ちょっと早めのスピードでスーッと通り過ぎて行く車もあります。サーッと通る車に、深々とお辞儀をしていたら顔を上げた時には、もうその車は遠くに走り去っています。お辞儀をして、頭を上げた時に、お客様とパッと一瞬目が合うようなタイミングがベストなんです。そういう時には、お客様の方からニッコリ微笑みを返して下さったり、『おはよう』っていうような感じで、フッと手を上げて挨拶を返して下さることがあるのです。中には、中央分離帯側の車線を走っていたのに、わざわざ車線変更をしてまでして、少しだけスピードを緩めて私の前を通って行かれる方もあります。そういう時、『ああ、感謝の気持ちが通じたな』って思うんです」

 すごい話だ。早川さんが「お辞儀」をする目的は、単なるパフォーマンスなのではない。「気持ち」が大切なのだという。
早川さんは、珍しく饒舌になった。

 「でも、いまだに不完全で試行錯誤の連続なんです。べストなのは、頭を上げたほんの瞬間に、ドライバーさんと目が合ってお互いの表情が分かり合えるくらいがいいのですが。もう未熟というか・・・なかなかそのレベルには100%は達しません。一台一台違うからです。大切なのは、『レクサスに乗って下さり、ありがとうございます』という気持ちを、どう伝えられるかということだと思っています。気持って、伝わらなければ意味がないというのが私のポリシーなんです」

 言葉を失った。参った。早川さんのお辞儀は、とてつもなく進化を遂げていた。

 接客業に関わる企業には、「おもてなし」の一つとして、様々なマニュアルが存在する。そこには、「お辞儀の仕方」についても詳しく書かれているはずだ。しかし、この早川さんのように、「気持ちは伝わらなければ意味がない」と教えているものは稀有なのではないか。
企業にとって、マニュアルは必要不可欠なものである。
 例えば、スタッフが接客の方法を学ぶ場合、マニュアルはお手本となる。さらに、目標でもある。またサービスの均一化という側面も持ち合わせている。しかし、マニュアルは諸刃の剣でもある。形ばかりが先行すると、「なんのためにやっているのか?」ということが置き去りになってしまう。
こんな笑い話がある。セルフサービスのコーヒーショップで、席が満席にもかかわらずスタッフが「店内でお召し上がりですか?それとも・・・」尋ね、お客様から怒鳴られてしまう。さらに「もういい」と言って帰るお客様の背中に向かって、「ありがとうございました」と言い、呆れられたという。
当たり前のことであっても、「気持ち」無きマニュアルがいかに多いかを物語っている。

 本来、「お辞儀」一つ取ってみても、「どう行うか」という形をうんぬん語る前に、「感謝の気持ちをどう伝えたい」という魂が根底に必要なはずだ。おそらく、自社のマニュアルを思い浮かべて赤面する経営者も多いのではないだろうか。早川さんは、さらに続ける。

 「だから曜日や時間帯、それに速度によってお辞儀の角度や動作のスピードを変えるのです。毎回、反省ばかり。トラックの陰に隠れていたレクサスの姿が急に見えたので慌ててお辞儀をした時などは、『ああ~このドライバーさんには軽く思われてしまっただろうなぁ』とか思います。反対に、明らかにドライバーさんと目が合って、コクリとお辞儀を返していただける場合には本当に励みになります。でも、それは特別の場合で返って来ないことが当たり前なのです。どなたもお忙しいでしょうし、それが寂しいとか空しいとかは思わないようにしています」

 つまり、早川さんの「お辞儀」には、マニュアルがないのだ。一日、1000台のレクサスに「お辞儀」をするとしたら、1000通りの「お辞儀」がある。ちょっと考えてみると、納得できよう。ビジネスシーンで、私たちは毎日、多くの人と会う。その一人ひとりの顔はもちろん、性格や嗜好も異なる。知らず知らずではあるが、私たちは「あの社長は、いつも厳しい雰囲気だから、まず笑顔で応接室入ろう」とか、「忙しい担当者だから、挨拶も早々に要件を伝えよう」などと考えて行動しているはずだ。