スターバックスのお気に入りの席から見えるもの

 ほとんど毎日のようにカフェに出掛けます
歩いて20分ほどの公園のなかにあるスターバックスです。

 幹線道路に面してはいるものの、大きなケヤキやクス、マツの木が生い茂り、抜群のロケーションです。
この店には、ガラス越しに外の景色を眺めることができる、5つばかりの一人掛けのソファがあります。もちろん、いつも空いているわけではありません。私と同じように、その席が好きな人がいて、全部埋まっているとガッカリ・・・
その全員が、本を読んでいたり、イヤホーンで音楽を聴いていたりすると、
(これはカウンター席で空くのを待っていてもダメだな)
と思い、諦めて帰ってしまうほどです。

 その5つの席のうちで、一番のお気に入りは、真正面に緑が見える端っこのソファです。本を読んだり、仕事の下調べや校正などをしていて、頭や目が疲れた時、深く座って外を見上げます。すると、木々の上に空がパッと広がります。夕方、だんだんと朱から群青に変わっていく様が実に美しく心癒されるひとときです。

 ところが、です。
この至福の時間を妨げられることがあります。
実は、この端っこの席の真横に、ドアがあるのです。
人が、出入りして閉まるたびに、「バンッ」という音が立ちます。そして、小さく二度、「バンバン」と弾みます。かなり重くて頑丈なドアなせいでしょう。
 台風一過の翌日などは、吹き返しの強風のせいでドアが「ドンッ!」と勢いよく跳ね返されるように閉まりました。この時は、よほど「圧力」がかかるせいか、私のところまで振動が伝わります。もちろん、本のページがめくれるほどに風も吹き込みます。
このことを除けば、この席は満点なのですが・・・。

 さて、ある日のことです。
その日は都合よく、一番のお気に入りの「その席」に座って本を読んでいました。
私の真横を、一人の女性がドアを開けて出て行こうとしました。
三十代前半に見受けられました。
ちょっと、出で立ちがステキだったので、
ついつい、チラリと視線を向けてしまいました。

 その女性は、ドアを開け外に出ました。
残念・・・。
(後ろ姿だけで、顔が見れない)
と、その時でした。女性は、クルリとこちらを向いたのです。
ドキッとしました。
(え!?まさか私の気持ちを悟られて、こっちを向いたんじゃ・・・ひょっとして、私に気がある?・・・いやいや、そんなはずはない・・・ひょっとして、チラリと見ただけどセクハラの疑い?)
しかし、私の妄想のどちらも、違っていました。
女性は、店内の方を向き、一旦、ドアを右手で締めました。
そして、ドアがあと10センチほどで閉まるというところでグッと力を込めて止め、左手をそっと取っ手に添え、両手で締めたのです。

 初めてでした。
ほとんどの人は・・・というより、誰もが店から出行く時、ドアは開けるけれど「閉める」ことはしません。よほど、大きく直角まで開けないかぎり、自然にドアは閉じるようにできているからです。
もちろん例外はあります。
大きく開けて、ドアが開いたままで立ち去って行く人もいます。
でも、それはここでは問題外とします。

 (なんて美しい姿なんだろう)
と思いました。もちろん、容姿のことではありません。その仕草、所作のことです。
いったい、どういう家庭で育ったのだろう。
どうすると、あんなステキな振る舞いができるのだろう。
そう思い、ハッとしました。
(そうだ!きっとお茶を習っているに違いない、それも長いこと)

 恥ずかしながら、遥か昔、私も茶道をほんの少しだけ習っていたことがあります。
茶道は決まりごとの世界です。
 茶席の座る順序はしかり。茶碗の持ち方、飲み方、置き方など一つひとつ決められています。
流派によって異なりますが、茶席から出る場合、(右から左へ締める場合)襖の引き手を右手で締め、一旦三分の一ほどのところで止めます。そして、今度は左手で引手を持って、そっと締めます。
一度に、スルスルッと全部は閉めません。
細かな点は異なっても、どの流派も基本的には手を持ち返るのは同じです。
もちろん、正座してのこと。

 茶道の先生は、普通、その所作の決まりごとについて、その理由を教えてはくれません。
あくまでも、「形」を覚える。何度も何度も繰り返す。そして、5年、10年、20年と続け、決まり事が身体に沁みつく頃、その「形」をする「理由」に自ずと気付くのです。「理由」とは、心の持ち方、在り様、真理であることは言うに及びません。
長年、お茶を嗜んでいると、その所作を観るだけで、その人の心が、生き方が見えるらしい・・・。残念ながら、私は、それよりもずっと先に続かずに止めてしまいました。

 でも、私の横を抜けて出て行った「あの女性」の美しい心を、ただドアの開閉という所作から感じ取ることができたのでした。

 今さらながらですが、その日から私も真似(?)をして、両手でそっとドアを閉めるようにしました。
たぶん、誰も気づいてくれる人はいないでしょう。
でも、それでいい。
 所作一つ、丁寧にゆっくりとを心掛けるだけで、心の内が晴れやかに、そして穏やかになったことに気付きました。