お迎えのプロ
仕事で打ち合わせをするために上京することになりました。資料や手土産がたくさんあり、大きな荷物を両手に抱えなければなりません。明日の天気予報はあいにくの雨です。新幹線に乗るため、駅まで荷物を濡らさずに行くのが難しいので、仕方がなくタクシーのお迎えを頼むことにしました。
配車センターに電話をして、朝の10時に来てもらうことにしました。タクシーのお迎えを頼むと、たいてい10分前には来てくれます。たいていの運転手さんは、10分前に、「ピンポ~ン」と呼び鈴を鳴らします。到着していても家の前で待機していて、ジャスト10時になるのを待って鳴らす人もいます。
私は朝に弱いのですが、緊張のせいかその日にかぎって目覚めがよく、出発の支度が早くできてしまいました。時計を見ると9時52分。いつもならもうタクシーが家の前に到着していてもおかしくない時間です。でも、車が停車した音も、エンジン音も聞こえません。
念のために表に出てみました。やはり、まだいません。家の中に戻ろうとした瞬間、50メートルほど離れた角に一台のタクシーが停まっているのが見えました。「おや!?」と思って手をかざして見ると、そのタクシーがこちらに向かって走り出しました。
目の前に停まると運転手さんが出てきて、
「もう準備がお済みですか」
とドアを開けてくれたのです。
「いつもならお宅の会社のタクシーは10分前に家の前に着いておられるので、ちょっと外へ出てみたんですよ」
と言うと、その運転手さんはこう答えました。
「たいていの運転手はそうしますけどね。私は一度お迎えにあがるお宅の場所を確認してから、ちょっと離れた場所で停車して時間まで待つことにしてるんです。エンジンの音がするだけで、お客様を急かせてしまうでしょ」
たしかにその通り。車の気配がするだけで出掛けに慌ててしまうのです。すると、ついつい忘れ物をしたりすることも。小さなことだけど、見えない気遣いが心に響きました。
駅まで向かう車の中で、
「すごいですね」
と言うと、さらにこんな話を聞かせてくれました。
その運転手さんは、よくカラオケスナックにお迎えに行くそうです。お店に到着しても、すぐにはドアを開けないように心掛けているといいます。お店の外まで、カラオケの歌声が漏れて聞こえてくる。それを聴きながら、曲が一つ終わったというタイミングを見計らってドアを開けるというのです。
曲の途中で、
「○○タクシーです。お迎えにあがりました」
と言って入って行ったら、せっかく盛り上がっているときに興ざめしてしまう。それを考えてのことだというのです。
さらに、さらに。曲が終わると皆の拍手があります。その拍手のタイミングも考えるそうです。早すぎても遅すぎてもいけない。稀に見るプロ意識に頭が下がりました。