「こころ便り」から⑳「角が取れる」

      木南一志

 大阪北部地震から何度もの台風、西日本豪雨、北海道胆振地方の大地震と続く自然災害に人ごととは思えない感情が私の中にも湧いてきています。被災された関係者の皆様には、心よりお見舞い申し上げます。

 大自然が何かを人間に教えようとしているのか、天災というのは人間の生き方に警鐘を鳴らす役割をもってもいるかもしれません。日本というこの大地が「お互いを思いやる」「明日起きるかもしれないから、充実した今日を生きる」といったことを知らないうちに教えて、私たちの先祖は身につけてきたのかもしれません。

 洪水が多発するのは山が整備されなくなったからで、シカやイノシシが田畑を荒らすという獣害も同じことが言えます。何故整備されなくなったのかを考えてみると経済一辺倒の成長戦略が見過ごしてきたこととも考えることができます。分かっていながら知らぬ顔ですぎてきたともいえるかもしれません。

 では、今の便利な時代に見直されているかというとそうではありません。林業で生活ができなくなり、関わる人が減り、声が政治に届かなくなって置いてきぼりの感があります。日本の家屋は木造建築でありながら、この地震や火事の多い国で何百年もの期間をその役割をしっかりと果たして過ごしてきました。それは、大自然のルールを人間が感じとって、共に生きることを目指してきたからでしょう。人間は、「年を取ると角が取れる」と言われます。尖っていた角が経験とともに削られて丸く小さくなったと理解する人がほとんどですが、実は、大木に刻まれた年輪と同じように内から膨らんできて、尖った角を包み込むように大きくなることで丸くなっていくのです。

 経験を積んだお年寄りには知恵があり、多くの村の女子供や若者たちを率いていくのは年寄りの役割でした。今のお年寄りには申し訳ないが、子供よりもひどい人がたくさんいます。孫の子守に散歩をしながら、お菓子を食べさせようとしたおじいちゃんの話が新聞に出ていました。孫が嫌がって食べなかったのでおじいちゃんは「ポイしなさい。」と道ばたにお菓子を捨てさせたというのです。

 こんな年寄りが増えていったら世の中はどうなっていくのでしょうか。仕事を通じて成長する人になろうと我が社で呼びかけているのは、せめて、こんな年寄りになってもらいたくないからでもあります。トラックは公道を走りながら仕事をします。氣づかないうちに世の中に迷惑をおかけしていることもあるかもしれません。だからこそ、安全運転で手本になる運転をしようとS-DEC運動を展開しているのです。自分一人で生活しているわけではないし、誰のお世話にもならずに生きていけるわけでもないのです。「お互いさま」を意識しながら、美しい街を、住み心地のいい街を創り出していこうではありませんか。

 それは、私たち国民一人ひとりの義務でもあるのです。

 被災地にこころを寄せながら