イエローストッパー物語~「益はないけど意味はある」~

(株)新宮運送社長 木南一志

***これは、私の講演原稿のさわりです***

新宮運送という運送会社を経営しております。関連で整備工場や製造加工、物流センターなどもやっております。私たちの仕事は、どちらかというと裏方の仕事です。皆さんの寝ている間にトラックに商品を積んで走ることや、店に並べる商品をピッキングといって品名、数量を間違えないようにカートに積むことなど、表舞台で活躍できることはほとんどありません。

私は、この仕事を誇りある仕事にしたいと念願しています。

なぜ、そんなことを考えているのか。そのきっかけは、社員のひと言でした。

 

あるドライバーが家での話をしていたのですが、

「お父ちゃんはな、トラックの運転手やから字も書けんし、人前で話すこともできん。だから、お前は、よう勉強して大学にいってええ会社に就職せえよ」と話したと言うのです。

自分の仕事を堂々と子供達に伝えることもできない。決して本音はそうだとは思わないのですが、

「どうせトラックの運転手やから・・・。」

「どうせ・・・」と自分で決めてしまったら、そこから先には成長はありません。

でも、その気持ちはよくわかります。

若いころの私は、学校の成績はさっぱり、スポーツも大したことないし、やれるとしたら酒飲んで暴れるか、ケンカするかぐらいでした。

だから「どうせ・・・」と物事を斜めに見る気持ちは痛いほどわかるのです。だって、みんなが私を見る眼は「あいつは・・・」というさげすんだ目線なのですから。

 

そんな私が変わるきっかけを得たのは、同じような道を通ってきた叔父のアドバイスでした。不思議と同じようなことをしてきた人の話は聞けるもので、そうだ自分もこの辺で出直そうという気持ちになりました。

その叔父が平成12年5月に亡くなりました。心筋梗塞、直腸がん、すい臓、腎臓と転移をしていました。ちょうど、そのあと私の胃がんが見つかるのです。

そして、その年の7月に胃の切除手術を受けました。宣告を受けたときには、さほど考えなかったのですが、命っていうのは簡単に無くなるものだなぁと感じた年でした。

私にとっての師

イエローハット 鍵山秀三郎相談役との出会い。平成11年8月30日に初めてお会いする。

私のとって経営者、人間としての師。

師のようになりたい!と願うこと。努力をすること。

自分の目標となる。続けていると、その先に「志」が見えてくる。

「志」は、実践の先に輝いている星である。

やり抜いたものには実感することができる。

イエローストッパー運動の起こり

当社のN君は、若手の元気なトラックドライバー。塗装工からの転職で入社した。4トン車で全国を走り回っていました。彼の口癖は「事故せんかったら、えんやろ。荷物を安全に届けて、受け取りもらったらこっちのもんや。」時速120キロで高速道路を吹っ飛ばして帰ってくるし、社内で行われる月一回の安全講習会もサボって遊びに行ってしまうほどの劣等生のドライバーでした。

ある客先では、荷物を積む際に車止めをしなくてはならないルールがあります。ある日、彼は止めるときには忘れずに車止めをしたのですが、荷物を積み終え「さぁ!早く出発しよう!」と運転席に乗り込みアクセルを踏んでも前に進みません。

車止めを外す事を忘れて発車しようとしたのです。

ちょうど同じころ、別のドライバーがお届け先で車止めをしていたのを忘れて、乗り越えてしまったという話しを聞いたり、実際に車止めをして、外し忘れたドライバーが発車したためにタイヤで踏みつけた車止めが爆弾のように飛んで事務所の入り口のガラスが割れて大事故になったこともありました。

その話しを思い出した彼は「これが真っ黒やから忘れるんや。目立つ色に塗ったら忘れへんやろ。」と、まずは黒色の歯止めを黄色に塗り替えることで、忘れないように・・・。そして、もし忘れても、飛ばないように前と後ろの車止めをロープで結びました。

ここまでは、よく目にするトラックの車止めです。しばらくそうして続けていた彼ですが、あまり言えないけれど、そうしていても忘れる事が何度もありました。

そこで今度は『絶対に忘れないためには・・・』と、親しい同僚に相談し、仲間で知恵を絞り、二つに繋いだ車止めの真ん中をドアノブに引っ掛けるように長いロープを取り付けることを考案しました。出発するときに必ずドアを開けるのですから、今度は絶対に忘れない。ロープの先は、S字フックでしっかりとつながれました。

さっそく、次の日から一部の同僚から冷やかしの声が始まった。「Nは忘れ物が多いから、ああでもしないとまた忘れるからなぁ」「あいつは出来が悪いから・・・」などと陰口も叩かれていました。

それでも、彼は忘れなくなった喜びで「これ、ええで。やってみいへんか?」と周りに声をかけていました。すると、ある人がマネをしてやっているではありませんか。

そして、「これ、ええなぁ。忘れること絶対にないで。」と褒めてくれたのです。

黄色の色まで一緒でした。 その事がきっかけで、彼の後輩のI君が率先して協力してくれたこともあり、少しずつ同じ形の車止めが増えていきました。

ある時彼を呼びとめて「全社でやろう!」と呼びかけました。まずは同じ車種から。そして、「ウチのトラック全部に広げよう!」と。

いつの間にか全てのトラックの車止めが黄色に塗り替えられ、ドアノブのフックにロープが下がりました。

「これから一年間、みんなで実行してもらうために運動を展開したいと思う。ついては、はじめに実行した君に名前をつけて欲しい」と彼にお願いしました。

翌日、返ってきた返事は「イエローストッパー365」。

頼りにしているM先輩と二人で一日考えて命名してくれた。

雨の日も風の日も、雪降る日にも、実行しようと声をかけました。

会社には何でも気づいたことを書こうとメモ用紙を貼り付ける掲示板を用意して、「本当はしたくない!」とか、「サイドブレーキをきちんと引けば大丈夫」などの意見も貼り出されました。メモは一枚書くと、ご褒美ありの約束です。事務局のR子さんは、いろんな工夫で呼びかけます。写メールや携帯メールも届きました。 一年365日、走り続けるトラックは、どこに止まっても、赤信号で止まっても!!イエローストッパーを!!と声をかけ続けました。

 

何の利益にもならないこと。しかし、そこにはしっかりとした意味がある。それは、仕事のけじめ。一回一回の繰り返しに節目が入っていく。

竹に節目があるように、大木に年輪があるように、「益はないけど意味はある」晏子が語ったことばどおり、意味あることが継続されていく中で、彼は成長しました。

3年前 結婚を決意したN君は、4トン車から大型車の乗務員となり、昨年一児の父親になりました。

今は?

当然、ピカイチのトラックドライバーです。どれほど変わったか。全く別人のようです。

 

意味のあることが継続されていくことと徹底して実行すること。この二つが人間を変えていく。成長という道を歩ませてくれるのだと信じます。

まだまだこれからの長い道ではありますが、彼は決して後戻りはしないと信じます。

なぜなら、自分との戦いに勝った本物の男だからです。

イエローストッパーは、今も続いています。

 

(参考)
益はないけど意味はある

斉の宰相を親子二代で勤めた
「晏子」が霊公がいった言葉

無益かも知れぬが、無意味ではない

無益なことは、かならずしも無意味ではない。むなしいと思われることに、真剣に取り組むことによって、かえってその人の純粋さが、如実にあらわれることがある。

晏子はこうも述べている。
「やり続ける者は成功し、歩き続ける者は目的地に到着する」