第1回 がん治療の闘病家族の皆さんへ捧ぐ

 平成29年5月13日、27年間連れ添ったカミさんを亡くした。享年53歳。がんと診断された時には、余命3、4か月と言われたものの、夫婦二人三脚で6年間治療を続けた。筆舌に尽くしがたい毎日。もちろん、苦しいのは当人である。だが、愛する人がもがき叫ぶのを、そばで見ているのも辛い。ときおり、新聞で「妻の介護に疲れ、道連れ自殺」「うつの夫が鉄道に飛び込み」などというニュースを目にしていた。まさか、自分がその悩める当事者になろうとは・・・。

 特に最後の1年半は、24時間看病介護で付き添った。私自身も、心身ともにボロボロ。真夜中に「痛いよ~」「寂しい」と訴え、時に泣き、時に狂ったように吐き出す話を聞きながら、寝付くまで身体のマッサージをした。私自身の体調にも異変が起きる。常に交感神経が張りつめているためか。聴覚異常、胃腸障害、長期の微熱と自律神経系の症状が日常化していった。

 「少しでもカミさんが欲する物を」と、スーパーやデパートを駆け回るのが私の一番の仕事。友人から「息抜きも大切」とアドバイスされ、買い物帰りに20分間だけカフェに立ち寄り、好きな読書をした。当然その分、帰宅が遅くなる。時計をチラチラ眺めつつ「もし、この20分間にカミさんに何かあったら覚悟しよう」と言い聞かせ、自分を赦そうと努めた。ついには私自身、身体が言うことを聞かなくなり、近くのコンビニへさえもタクシーで出掛けるようになる。「明日の朝、自分が冷たくなっていたらどうしよう。誰が彼女の面倒を診てくれるだろうか」と、真夜中にカミさんの背中をさすりながら不安に苛まれた。やがて、最期の日が訪れた。

 告別式の翌朝、近所のスタバヘ出掛けた。ラテを注文。緑の見える席でボーと過ごす。気付くと1時間半が経っていた。私は愕然とした。「ああ、家に帰らなくてもいいんだ。あいつはもういないんだから・・・」と。これから一日24時間を「自分のためだけ」に使っていい人生。それが幸せなのか不幸なのかわかない。「生きる」気力どころか「死ぬ」気力さえ湧いて来ない。私は「空虚」に包まれた。

 本紙編集局長から唐突に連絡があり、「奥さんの介護のことを書いて欲しい」と言う。一年半を経ても未だ心と身体のリバビリ中。振り返るのが怖い。だが、私の経験が僅かでも今、同様の苦しみの真只中にある方々のお役に立てばと思い、ペンを取ろうと決めた。できるかぎり赤裸々に綴ろうと思う。半年間お付き合い下さいませ。