メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」第10回「こんなスゴイ友達を紹介します!~「やってみなきゃわからない」がモットー玉置崇先生」

メルマガ「志賀内泰弘の恩送り通信」
第10回「こんなスゴイ友達を紹介します!
~「やってみなきゃわからない」がモットー玉置崇先生」

 ☆今の私があるのは、友人・知人・両親・親戚・先輩・同僚・心の師など大勢の人たちの「おかげ」です。
いただいたたくさんの「御恩」を次の人へと「送る」ために、新作や約3.000本のアーカイブスから厳選してお届けします。
名付けて「志賀内泰弘の恩送り通信」です。

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 岐阜聖徳学園大学教授の玉置崇さんは、学校の先生を目指す学生のためにゼミを開いています。
 玉置先生も、以前は、公立中学の校長でした。
 でも、普通ではない、子どもたちに熱情を注ぐ稀有な存在でした。
 玉置先生の思い出深い生徒について、綴っていただきました。
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「タマオキ!死ね!」
      岐阜聖徳学園大学教授 玉置崇

 「タマオキ!死ね!」とバットを持って殴りかかってきた少年A。
 絶対に忘れることができないあのとき。
 昭和の終わり、中学校担任のときの廊下での場面だ。

 Aは、小学生のころから何かと問題を抱えていた少年だった。
進級するたびに誰が担任するのだろうと話題になる生徒だ。
私が3年生担任と分かった段階で、学年主任から「Aは玉置さんが担任してくれ」と依頼を受けた。
意気に感じて「俺がAをなんとかしてやろう」と担任を引き受けた。

 私の思いが先行しすぎたこともあり、Aには何かにつけて強い指導をした。
時には胸倉をつかみ合ったこともあった。
Aは瞬間逆上型で、気持ちが追い込まれると、自分で自分がわからなくなるのが常で、とうとうある日、バットを持って「死ね~!」と大声を出すことになった。
正確には、私が彼を追い込みすぎてそうさせてしまったのだ。

 彼と廊下で対峙した時、私は彼を冷静にさせようと、「落ち着けよ」と優しく声をかけた。
そして、「誰か、先生を呼んできてくれ!」と心の中で叫んでいた。
ところが、他の生徒は、Aのいつも以上の逆上ぶりに恐れをなして、教室に入り込んで廊下に出てこない。
彼は実際には殴りかかってこないと信じていたが、この場面をどう納めたらよいかわからない。困った。

 彼の背後に、年配の男性教師を見つけた。
助かった。Aは気づいていない。
あの先生がなんとかしてくれるに違いないと思った。

 ところだ。なんと!その教師は、Aと私の横を何も言わず、下を向いて通り過ぎていったのだ。
信じられない行為。

 だが、Aは気がそがれたのだろう。
バットをその場に捨てて、私に背を向けて、昇降口に向かって走っていった。

 これで助かった。
本当に助かったと思ったと同時に、私は「あの教師は許せない。絶対に許すことができない」という気持ちが抑えられなくなった。
職員室でその教師に向かって、ありたっけの声を出して怒鳴った。
 「先生は、私がバットで殴られてもいいと思ったのですか。なぜ何もしなかったのですか」と。
そんな私に向かって、その教師は何と言ったか。
 「どうしていいかわからなったので・・・」

 さらに怒りが増して、「それでもあなたは教師か!」と怒鳴った。
校長が飛んできた。
その後のことはあまり覚えていない。
校長室で軟禁され、落ち着くまで出てくるなという指導を受けたような記憶があるが、確かではない。

 このようなAは、翌日、何事もなかったように学校に来る。
もちろん謝ることはない。担任として、いや人間として言いたいことはいっぱいあるが、今は、Aに何を言っても無駄だと思った。
逆上させないように、短い時間で諭すことを繰り返した。

 中学3年の秋だ。
Aは突然、「高校に行きたい」と言い出した。
何を今更と思ったが、真剣に高校に行きたいのなら、応援してやるのが担任だと思い、「受験勉強つきあうよ」と言った。
何も反応なし。Aの心境は本当にわからない。
今思えば、「お願いします」なんて言えるわけがない。
他の生徒の手前、Aは言えない。
とにかく人の前で頭を下げることができないのだ。

 そうであるならと思い、その日から自宅へ帰る前に、必ず彼の家に寄り、受験対策用のプリントを届けた。
Aは出てこないので、母親に渡す。
どうやら私が帰ったあと、母親から受け取っていたようだ。
プリントには必ず「やったらこのプリントを返してください。採点をして返すよ」など、一言を書いた。
予想通り、一枚も返ってこなかったが、彼の家へプリントを届ける行為は入学試験前まで続けた。
意地だ。
「君を応援する」と言った以上、プリントを届けなかったら、こちらの負けだと思った。

 高校は定員まで生徒が集まらず、Aは合格した。
ところが、Aは中学校に届けられた高校からの文書を取りに来ず、私はAを指導しなければならなくなり、また一悶着起こした。

 それから26年間、私は彼に会うことはなかった。
ある日、学校の仕事を終えて自宅に戻り、車から出て玄関を見ると人が立っていた。
シルエットだけだが、一瞬にして彼だと分かった。間違いない。

 近づく。やはりAだ。
何だ!今頃?と思った。
26年ぶりに会った彼の口から出た言葉は、「玉置先生すみませんでした」だった。
謝りたいと思っていたが、今日まで謝りに来ることができなかったというのだ。
そこにAの同級生だった教え子が現れて、Aのこれまでの気持ちを話してくれた。
それを聞きながら、玄関先でどれほどAとともに涙を流したことか。
家に入るように言ったが、とても入ることはできないという。
「落ち着いたら、また会おう」と言って別れた。

 大学で教師を育てる仕事をしている今、この出来事を学生に話し、教師として自分が正しいと思うこと、信じることをやり通すことの大切さを伝えている。
自己体験だから、胸を張って話しているが、学生の中には、「26年経ったときの逆転エピソードがあったからこそ話せることで、いつもそうなるとは限らない」と考える者もいると思っている。
もちろん、自分が信じることを伝え続けても、それが伝わる保証はない。
しかし、言っても無駄と思いながら発する言葉は、絶対に相手には届かない。
「教師だからこそ子どもを信じてやるのだ」という気概をぜひ持ってほしいと話している。
また、「子どもはすぐに変わるものではない。
変わろうと思っていても、すぐに変われないのが子ども。
しかし、正しいことを言い続けていれば、いつかは相手に通じるものだ」と、教師を目指している学生に話している。

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