形から入る

 ダスキンの創業者である鈴木清一さんは、「形から入る」ということを説いています。

 「最初はわからなくてもいいのです。けれどわかろうと努力することです」

 ダスキンという会社では、ことあるごとに合掌をして祈るといいます。最初は、みんなわからぬままに合掌している。形だけ。でも、それを繰り返すうちに、自分の欲のためでなく、人のために祈っていることに気付かされるそうです。これは「祈りの経営」と呼ばれています。

 形から入る。それがいずれ真実になる。何もせずに批判する前に、まずは素直にやってみることが大切であること意味しているのです。

 私が、この話を耳にしたのは、まだ最近のことです。
 「形から入る」と言われて、ハッとしました。実は、私自身も「形から入る」ことで、人生が救われたことがあるからでした。

 十数年も前の、サラリーマンだった頃の話です。

 どうしても波長の合わない上司がいました。とにかく細かい。仕事の書類に記入する棒一本の引き方だけで、1時間も2時間も説教を受けました。一事が万事。厳しくて、よく叱られました。一つのミスがあると、もう立ち上がれないくらいに叩かれました(もちろん暴力ではなく言葉で)。たしかに、私が至らなかったのでしょう。少々、血気盛んな30代の頃のことでしたが、それでも一言も反発せず、耐えに耐えました。

 そのうち、体調に異変が起きました。吐き気と下痢です。病院で診断を受けると、間違いなくストレスによるものだと言われました。ひどい時には、一日3食のうち2食を吐いてしまいした。休日でも、その上司のことをフッと頭に思い出すだけで、トイレに駆け込むほどになりました。

 そんな生活が2年続いたある日のことです。突然の発熱と、猛烈な下痢が私を襲いました。いくつもの病院を回りましたが、「風邪だろう」と言われて点滴を打たれました。その後、大病院に担ぎ込まれます。原因不明のまま、38度から39度の高熱が続きました。「最近、アフリカかどこかへ旅行に行ったことはないか」と聞かれました。得体のしれぬ伝染病の疑いをかけられたのです。

 後から看護師さんに聞いた話ですが、「あの人どうなるのだろう」とナースステーションで噂になるほど危険な状態だったらしい。

 入院3日目の昼ごろ。トイレに行くと、バケツをぶちあけたほどの下血で、便器は血の海になりました。卒倒しました。そこで、初めてわかったのです。ストレスで、内臓がボロボロになっていたことが。どんなに辛くても、我慢をしてきた。何を言われても耐えてきた。その結果が身体を蝕んでいたのです。

 奇跡的に特効薬が効いて、社会復帰することができました。この間の治療については、あまりにも長くなるので割愛します。でも、一つ。お医者さんから言われた言葉が私の心に刺さりました。

 「君には感謝が足りない」

 というものでした。そのお医者さんに言いました。上司にイジメられたせいで、病気になったのです。そのせいで、生死を彷徨ったのですと。先生は、「それは君にために言ってくれたんだ。仕事を教えてくれたんだ」と言いました。私は、とても納得できませんでした。教えるなら、子供じゃないのだから、言いようがあるはず。一方的に、痛めつけなくてもいいじゃないか。それでも先生は言いました。

 「その上司に感謝しなさい。どんなに辛いことをされても、その人に感謝しなさい。そうでないと、また病気になりますよ」
 
 翌朝から、公園に散歩に出掛けると、池のほとりで手を合わせて唱えました。「○○さん、ありがとう」と。その上司の名前を口にして。一時は、「殺してやりたい」と思っていたほど憎い人です。その人に「ありがとう」と言う。そんなことは、本人の前でなくても嫌でした。でも、二度と病気にはなりたくない。仕方なく、「○○さん、ありがとう」と繰り返しました。毎日、毎日。

 2年、3年が経ち、ふと気づきました。あれほど恨んでいた上司のことが、憎くなくなっているではありませんか。それどころか、心の底から「ありがとう」と言える。さらに、病気自体にも感謝できるようになっていました。病気になったおかげで、いろいろなことに気付けるようになりました。人に優しくもなれた。困っている人に、手を差し伸べることもできるようになった。散歩をしながら、ゴミ拾いも始めた。一番は、「どんな人間になりたいか」「どんな人生を歩みたいか」を、改めて考えられるようになったのです。

 それもこれも、上司のおかげ。上司が私を病気にしてくれたおかげと思うと、素直に「ありがとう」と手を合わせることができるようになりました。

 話は戻ります。

 「形から入る」です。大切なのは「心」です。中身がなければ、上辺だけでは仕方がない。でも、形を作ることで、後から中身が伴ってくることもある。自らの体験と重なり、鈴木清一さんの言葉が、心に沁みたのでした。

           (参考図書)
            合資会社ダスキン熊本社長
甲斐紳一郎著
「天の道は人の道 宿命の人生」