どちらを選ぶか、それが問題だ
サラリーマンをしていた時の話です。
私は、社内の検査役のような仕事をしていました。事が終わったすべての書類をチェックし、ミスが一つでも見つかると、対策を図るのです。いつもストレスにまみれていました。
ある時、重大なミスが発覚しました。針の糸ほどのミスでしたが、最悪のケースを想定すると被害は数億円に達する恐れがありました。悩みました。当然、自分一人ではなんともならないので、上司に相談します。すると、その上司も悩みました。なぜなら、金銭的な被害もさることながら、そのミスを公にすると、ミスを犯した人が責任を取らなければならないからです。上司は言いました。
「そのミスをもみ消せないか?」
と。私は答えました。
「たぶん可能でしょう。でも、万一バレた時、責任を取っていただけますか?」
返事に窮した様子。そこで、上司は、そのまた上司に相談。その上の上司もまた上司に相談。誰も決断ができないのです。そして、とうとう社長まで問題が報告されることになりました。私は、緊張しつつ、社長にすべての事実を説明しました。社長は、10秒ほど腕組みをして沈黙。そして、一言。
「事実を明らかにして進めて下さい。責任は私が取ります。でも、あなたが最善の措置を図ってくださいね」
話は変わります。
2010年サッカーのワールドカップでキャプテンを務めた長谷部誠さんは、「迷ったときこそ、難しい道を選んできた」と言っています。
最初の岐路は高校受験の時だったそうです。
勉強が得意だったわけではないので、両親は私立大学の付属高校に進むことを望んでいた。そこはサッカー部も強かった。そのまま大学までも進学できる。でも、長谷部さんは静岡県立藤枝東高校に行きたかった。でも、地元一の進学校。当時の学力では難しいことはわかっていたそうです。
しかし、猛勉強をして合格を勝ち取ったのでした。
次の岐路は、高校3年の秋。
都内の私立大学の推薦をもらっていました。そこへ、浦和レッズからオファーが来ました。当時の長谷川さんは、まだ無名の存在。両親も反対しました。
もし失敗したら、大卒という肩書を失った上に、就職さえもままならなくなる。しかし、長谷川さんはプロ行きを決断します。
プロになってからは、毎日が「岐路」のようなものだったといいます。
競争に勝って試合に出られるか。それとも、競争から逃げて他の仕事を探すか。
ドイツのチームに移籍するときも、「海外なんて無謀だ」と言う両親を説得して決断します。
長谷川さんは、言います。
道に迷ったとき、「どちらが難しいか」を考えると同時に、「どちらが得るものが多いか」も考えるようにしている。
迷ったときこそ、難しい道を選んできたと。
もう一つ。
ダスキンの創業者である鈴木清一さんは、「損と得あらば損の道をゆくこと」と説いています。一見、「損の道なんておかしい」と思えるかもしれませんね。でも、これは、目先の得(利益)ばかり追いかけてはいけません。真にお客様のためになることを考えて心を尽くせば、それがやがて信頼となる。ひいては物も売れて利益が得られるという、ダスキンの経営理念にもなっている言葉です。
さて、昔勤めていた会社の社長の言葉です。「事実を明らかにする」こととしたため、それから数か月にわたり大変面倒な対応策を迫られることになりました。正直に言えば、私にとっても「もみ消して」いた方が楽でした。
でも、公明正大「正しい」方を選択できた。これは、長谷川誠さんと鈴木清一さんの話とも併せて、その後の私の人生において大きな指針になりました。
何が正しいか。
単に楽な方を選んでいないか。
目先の利益だけ追いかけていないか。
今でも、悩ましい岐路に立った時、この三人の言葉を自分の胸に問います。