建設業で本当にあった心温まる物語④
~あの時の金髪青年との再会~
吉川建設株式会社 佐々木 勝敏(長野県)
私が20代のころのことです。小規模で短期間で終わる工事に従事しました。工事の内容は単純であったのですが、工事経験が少ない作業員が従事していたため、自ら泥やコンクリートにまみれて作業を行いながら現場管理をしていました。
そんな中、髪の毛が金髪で、いつもバイクで現場に通ってくる16歳の作業員が2人いました。協力会社の社長は時々フラッと現場に現れると彼らを何かにつけて怒鳴ります。その都度私は必死に間に入り、「これは私が指示してやらせたから」などと言って、かばっていました。また作業中は彼らを励ましながらくぎの打ち方など作業の基本を教えました。
それから20年ほど経ったときのことです。私の子供が保育園に入園し、保護者会の役員を務めることになりました。はじめの役員会のあいさつの時、あるお父さんと話をしました。とても元気で気さくな人で、今はレストランで働いているとのことでした。「がっちりとした体格だな」と思っていると、そのお父さんが「私は昔、土木工事現場で働いていました。佐々木さんのことを知っています」と言うのです。私はその言葉であの時の様子がフラッシュバックしました。
「あの時の金髪?」
「そうです。あの時佐々木さんがいなかったら俺、道を踏み外していました。もう一人の仲間もそうです。だから彼と会うといつも、佐々木さんが僕たちをかばってくれたり、仕事を教えてくれたりした時の話をしています」
彼が立派な父親となって、しかも同じ保育園に子供がいることに胸が詰まり、言葉にできない感動を覚えました。
その当時は重要な仕事に関わることも増え、仕事に悩みをもつことも多かったのですが、私たちは建設物を造っているだけではなく、同時に人間を成長させ、自分もこうして救われているということに気が付きました。
そんな経験を励みにして、今も笑顔で仕事に向き合っています。
かっこいいセリフですよね。「建物を造っているんじゃなく、人間を成長させている」。そう!仕事って、そういうもんですよね。でも、若い頃はなかなかわからない。いろいろ苦労を積み重ねて理解できるようになる。きっと、金髪だった二人も、いろいろあったんだろうなぁ~」
~息子の手紙が気づかせてくれたもの~
田中建設株式会社 梅垣 義明(福井県)
私には息子が3人います。長男が小学校3年生になった今年、だんだんと反抗期や親離れが始まっているためなのか、私が話しをすると反抗的な言動をするようになってきました。
私は一昨年から今年の4月までの1年以上の間、自宅から車で1時間以上かかる現場に従事していたため、早朝に出勤して夜中に家に帰る生活をしていました。朝も夜も子供たちと顔を合わせられず、週に1日、日曜日だけしか一緒に過ごすことがきませんでした。
そんな生活が続いていたある日、子どもからこんな言葉を言われました。
「友達のお父さんは、夕方仕事から帰ってきて一緒に遊んだり宿題したり、夕食を食べているのにどうしてうちは違うの?」と。自分の心の中では、なんとなくそう思われていると感じていましたが、実際に言われるとショックでした。子供のために、転職も考えたこともありました。
それから月日がたち、ある日仕事から帰ると長男が1通の手紙をくれました。手紙には「いつも僕たちのために朝早くから夜遅くまで仕事してくれてありがとう。そして、みんなが困らないようにしてくれてありがとう」と書かれていました。何も前触れもなく渡されたのでびっくりしましたが、改めて妻に確認してみると、「今年の大雪の時、寝る時間を削って除雪作業をするために出勤しているお父さんの姿を見て、大事な仕事だと息子なりに感じたから書いたみたいだよ」と、聞かされました。
息子からもらった手紙をきっかけにして、今まで以上に家族の支え、ありがたみを感じ、再度仕事の大切さを認識することができるようになりました。
昔から言いますよね。子供は親の背中を見て育つと。いくら反発していても、わかってくれているんですよね。泣かせるなあ~。
(出典)「続・建設業で本当にあった心温まる物語」日刊建設工業新聞社編集局
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