宮古島の片隅で・・・障がい者を支える人たち
沖縄県の宮古島にあるモスバーガーのお店に、一人の女性から手紙が届きました。それは、こんな趣旨の内容でした。
「ときどき孫と伺います。そこで車椅子のIさんのことを知りました。彼へのスタッフの皆さんの優しい心遣いに触れ、孫が作文を書きました。それが、「社会を明るくする運動」(法務省主催)のコンテストで優秀賞に選ばれました。このような温かい方々が、障がい者をさりげなく支えているということを社会へ広めたい思いです。いつも、ステキな空間をありがとう」
その入賞作品をここに紹介させていただきます。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
「Iさんから学んだこと」
宮古島市立鏡原小学校三年 岸本梨々香
私が休みの日によく行くファーストフードの店で車椅子の男の人をよく見かけます。 その人は三十才位に見えました。最初見たのは二年生の夏休みでした。その時はふしぎに思って遠くから見ていただけでした。
それから、しばらくたったある日、いつものお店に行きました。お店には、お客さんがいっぱいなのに、その人の側の席は空いていました。おばあちゃんと私が座りあいさつしました。その人は不自由な体でうれしそうな顔をしました。そしてストローに口をつけてアイスコーヒーをおいしそうに飲んでいました。そのコップはふつうのコップとはちがっていました。青いうずまきの形をした入れものの中にプラスチックのコップが入ったおしゃれなものでした。コップの底は、テーブルから落ちないようにガムテープでくっつけられていました。コップの工夫はお店のお姉さん達が考えたそうです。
私は、そのかしこい思いやりを「すごいなあ」と、感心しました。おばあちゃんが、その人に名前をたずねました。名前は、Iさん、四十二才とわかりました。私たちも自己紹介をしました。Iさんは、とてもよろこんで「よろしくおねがいします」と力いっぱい話してくれました。
また、ある時、お店でIさんを見かけました。その日は、かっこいいお兄さんと将棋をしていました。二人ともしんけんだったので声はかけず、食事をすませて帰ってきました。帰る時、お店の入口を見ると車椅子の通り道がちゃんとあるのに気づきました。「バリヤフリーって言うんだよ」と、おばあちゃんが教えてくれました。はじめて聞く言葉でした。
ある寒い日、同じお店へ行きました。Iさんも居て、久しぶりに会いました。Iさんは、お店のお姉さんにおしるこを食べさせてもらっていました。「自分でもできるんだけど今日は、お客さんが少ないのでお手伝いをしているんだよ」と、お姉さんが言って二人とても楽しそうでした。
Iさんの服が、よごれないようにちゃんとエプロンもかけてありました。そんなお姉さんたちの女神様のようなまごころに、私は涙がこぼれそうになり、じっと見つめていました。
「おだんごは食べやすいようにこまかくしてあるよ」と お姉さんが言っていました。私たちは、しだいに仲良くなりました。Iさんは、生まれてすぐ「脳性麻痺」と言う病気にかかってしまい、後遺症が残り、障がい者になったとの事でした。
しかし、Iさんは重い障がいにも負けず、毎年 沖縄本島で行われる車椅子マラソンに十回以上も出て完走し、準優勝二回もしたそうです。また、バスケットの試合にも出ているし、ダイビングもしたという事がわかりました。
「外出は楽しいですか。」と、聞くと、うれしそうに何度もうなずきました。 でも、お母さんから「他人に迷惑をかけるので、なるべく外出はしないで」と。言われているそうです。
しかし、Iさんは、顔をまっ赤にして、「人間は、みんな誰かに迷惑をかけながら生きていると思う。だから、迷惑をかけるから外出しないでと言うのは、まちがっていると思う」と、一生懸命話していました。
「Iさんの言う通りですよ」と、お店のお姉さん達も賛成していました。なれてくると、Iさんの言葉が不自由でも、だんだんわかってくるとも話していました。
私は、Iさんが生まれながらの障がいにも負けず、小、中、高、と学校も出て、自分の意見をしっかり持ち、いろんな事にチャレンジしている姿に感動しています。これからは、一人でお店へ行った時でも、恥ずかしがらず勇気を出してIさんに話しかけ、何かお手伝いできるようになりたいです。
みんなが、優しい心でささえ合って助け合えば、普通の人も、障がい者の人も仲良くなり、もっと明るい社会に なるのではないでしょうか。
私はIさんから、この事を学びました。Iさん、ありがとう。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
いかがでしたか?まるで、仲の良い家族のようなお店ですね。
人間て一人じゃないんだ。みんなで支え合って生きているんだ。そう胸を張って大きな声で言える社会にしたいものです。