「こころ便り」から⑰「予兆を掴む」

      木南一志

 実りの秋が深まって、暦は霜降(そうこう)から立冬(りっとう)を迎えます。今年の冬は厳しい寒さになるのではないかと思います。夏は暑く、冬は寒いのは当然のことなのですが、今年の夏は雨ばかりでしたので、まさか雪ばかりの冬にはならないことを今から祈っています。運送業にとって雪ほど厄介なものはないからです。トラックが止まってしまうということは、すべての産業を停滞させることにつながります。近年は、雪道のマナーも伝わらなくなり、自分の車だけを優先させることばかりに氣を取られて周りが見えなくなりました。その結果、渋滞のなかで協力して通行できるように譲り合うことも無く、特に雪のあまり降らない都市部では、電車でのマナーと同じように自分の都合しか見えていない行動に多くの人が迷惑を被(こうむ)ります。

 トラックこそが車社会のマナーを見せて走りたいものですが、中には分からないトラックドライバーも多く、乗用車も遠慮なしに割り込んでこられる現実にイラッとこないトラックドライバーはないでしょう。それでも安全に無事故でと求められる条件は厳しいものです。

 未来の起きることを予測することは誰にもできません。神のみぞ知ると言えます。しかし、予兆を感じ取ることはできるはずです。広島の水害や御嶽山の噴火などでも、想定外という言い訳が役人の合言葉のようになっていますが、何か変だな?と感じ取る力が便利になりすぎた社会の反動として消えてしまったのではないかと思えるのです。

 人間には、目、耳、鼻、舌、皮膚という器官を通じて、見る、聞く、嗅ぐ、味わう、触れるという感じる力で五感という力があります。それに加えて、第六感という力があります。

 「ん?」と思える力のことです。これが全く分からないとしたら、あなたの感度の能力低下がずいぶん進んでいる証拠です。要注意です。

 私は徹底した掃除を実践してきた15年で、ずいぶん感じる力を養うことが出来たと思っています。そのかわり、痛い思いもずいぶん経験しました。先のことが分かるなら、失敗もなく、何事もうまくいくと思われるでしょうが、実は予兆を掴むのは危険を察知する力ともいえます。自分の目に指を近づけただけで、自然に瞬(まばた)きをします。人間は危険を察知して動けるようになっているのです。これは、事故のない人の習慣の中に隠されていることでもあります。それはどんなことか、まず自分が知りたいと願い、この習慣を自分の力で見つけ出すことで、はじめて身につくことになります。習慣が自分の力となってくると、見えない力がどこからか湧いてくるようにも思えます。私には毎日、例外をつくらないという鍵山相談役の日めくりが問い掛けてきます。まだまだ安全に運転も経営も出来ておりませんので、予兆を掴む力を、より磨き上げていきたいと考えております。

 被災地にこころを寄せながら