「こころ便り」から⑬「先人の知恵を」

      木南一志

 大震災の復興の中で季節も少しずつ動き始めています。福島第一原発の事故処理は進まず、これからも必要なのかそうでないのかなどの議論がされていますが、何よりも先に大切なことは、これを機会に「足るを知る」工夫をすることです。東京都荒川区では節電マイレージという取り組みをされていると聞きました。東京電力の検針票にご参考までにと昨年の使用量が書いてあるので、この夏に20%以上の節約が出来れば区役所に持参すると景品がもらえるとのこと。目標設定をして、その数字に向かって努力することも大事なことではありますが、楽しみながら工夫を重ねることが出来ると良いことがやってきて、またそれを喜ぶと重ねて喜びが生まれてくる善の循環が回り始めるのです。

 節約のルールを作って守らない人を責め立てるよりも、気がついた人が消していくことから始まって、時間を変えてみたり、使い方や方法を変えてみたりすることで、より効率のいいことに氣づいていくことにつながっていくのです。

 しかし、この国はルールを守ることばかりに捉われて、「何のために」を忘れてきました。スピード違反の取り締まりも、本を正せば、交通安全から生まれてきているはずです。それがいつしかブレーキを踏まなくても安全に止まれるブレーキが開発されて、結果、人間の能力はますます低下していきます。スピードを出しても安全な車を開発して、片方ではスピード取り締まりを強化していく。いつまでたっても、善循環は訪れません。

 私たちの先輩には、素晴らしい仕事を成し遂げた人がたくさんいます。有名な人でなくとも、その地域を作り上げてきた偉人と呼ばれる人は、世の中が良くなっていくための努力を重ねてきたはずです。人類の進化の頂点で暮らす私たちは、次の時代にバトンを渡すために「足るを知る」工夫を重ねなくてはなりません。大手企業の売上利益至上主義に騙されることなく、人間として何が大切なのかを先人の偉業から学びたいものです。

 先人とは、「トイレの神様」で歌われるおばあちゃんのことであると私は考えています。教わった大切なことを忘れずに実行して、次の時代につなぐことの出来る人になっていこうではありませんか。

 そんな国民が増えてくると、また全世界が驚く行動の出来る、これぞ手本といえる日本に作り上げていくことが出来るのです。足元の一歩から進んでまいりましょう。

 東日本大震災の地にこころ寄せて