第12回 味覚を失い、泣く
抗がん剤の副作用で一番苦しいのは何か。もっともよく耳にするのは、吐き気がひどくて食べられず衰弱するというもの。だが、カミさんの場合は違った。迷わず「味が無くなったここと」と死ぬまで嘆き続けていた。それは抗がん剤を始めて4か月目のある日、突然に訪れた。コンビニで買ったコロッケバーガーを一口食べて「なにこれ?!」と顔を歪めた。「どうした?腐ってた?」と聞く。その時、それが副作用によるものとは想像できなかった。朝食は普通に美味しく食べられたのだから。他の物も口にしてみる。おかしい。慌ててお世話になっている医療コーディネーターのI先生に電話。そこでそれが副作用によるものと判明した。
私にも、風邪薬を飲んで味覚が無くなった経験がある。ステーキを食べたら、ゴムのようだった。ところが、カミさんは違うと訴える。「味がない」のではない。うっすらと、濃い磨りガラスの向こうに、何やらボンヤリと人影が見えるかのようにわけのわからない味らしきものを感じるという。それだけならまだいい。マヨネーズやクリームシチューはべたべたして吐き気がする。味噌汁や煮物は臭い。どうやら出汁がいけないらしい。醤油、ソースもダメ。カミさんは「先生に嘘をつかれた!看護師さんも言ってなかった。それを知っていたら、絶対抗がん剤なんてやらなかったのに!」と泣いた。
もう一つ、聞いてはいたが想像以上の副作用が、「便秘」である。カミさんは元々、毎日排便がある方ではない。だが7日、10日と出ないと、さすがに苦しくなる。座薬のレシカルボンを処方される。かなり効き目があるはずという。たしかに挿入してしばらくすると便意を催す。トイレへ駆け込む。問題はそれからだ。肛門近くの僅かな便はすぐに出る。だが続かない。洋式だと踏ん張れないというので、和式で頑張る。10分、20分・・・「どうだ?」「ダメ、もう少し頑張ってみる」「膝や腰を痛めないようにな」「うん」。
40分して「出た!見てみて!」と言って飛び出してくる。それは見たことのない代物だった。大きめのウサギのフン。小さめの月見団子。コロコロと山盛りになっている。一つひとつがカチカチ。肛門が切れて出血し便器が赤く染まっている。「やったね!」「おめでとう!」ハイタッチして喜び合う。変な夫婦。
がん治療から学んだこと。味わう、出す。そんな当たり前のことに感謝を忘れていた自分。もっともカミさんは言う。「そんな感謝したくない」