第18回 宗教の力は大きい

カミさんががんになったと聞き、私の従妹がお見舞いに来てくれた。従妹は仏教系の新興宗教を信仰していた。その従妹はかなり敬虔な信者で、やんわりと入信を勧めた。カミさんにも私にも。とにかく、大勢の人から様々な宗教や健康食品を勧められた。新興宗教というと、高額なお布施を要求したり、強引な勧誘というイメージを抱く人も多いと思う。中には宗教がらみで「これを飲めばどんな病気も治る」という「水」までも勧められた。

私自身、特定の宗教を信じてはいない。ほとんどの日本人がそうであるように、神社へ初詣に行き、彼岸・お盆にはご先祖を仏教で供養し、クリスマスパーティに参加する。だが、二十数年前に生死を彷徨う大病をした時、ありとあらゆる宗教の門を叩いた。「もう二度と病気になりたくない」という一心からだった。その結果、たどり着いた真理が一つ。生きる上で「感謝の心」が最も大きな力になる。感謝があれば苦しみも乗り越えられる。それはすべての宗教に共通するらしい。だから、その宗教団体にも拒絶反応はなく、入信する意思はないものの宗教の存在の重要性は認識していた。

だから、カミさんが「一度教会に行ってみる」と言った時も、反対はしなかった。結果は「吉」だった。その後も何度もカミさんは、従妹と教会へ出掛けたが、入信するには至らなかった。でも、すこぶる心が穏やかになった。その従妹のほがらかな性格もあったろう。「○○ちゃんとお喋りするのは楽しい」と言う。そして入信をけっして無理強いしないことも信頼につながった。

6年間に及ぶ治療の末期の頃のことだ。抗がん剤が効かなくなり、二人して坂道を転げ落ちて行く一方の時、なんとその従妹も乳がんに罹ってしまった。カミさんはショックで泣いた。だが、従妹は強かった。「私は大丈夫よ、それよりあなたが心配。私のことは心配しなくてもいいから」とニコニコ笑って言う。これから自分が入院して手術をするというのに。「私は仏様が守って下さっているから」と不安な表情一つ見せない。私はその時思った。「ああ羨ましい」と。宗教を信心している人は心が強い。そう言えば、敬虔なクリスチャンの友人も、神道の伝道をしている先輩も苦難にへこたれない。

人は弱い。だから人の歴史と共に宗教がある。辛い治療に6年間もなんとかではあるが耐えられたのは、従妹とその宗教のおかげであることは間違いない。