第17回 感謝することで救われる

カミさんが言った。「私が望むのは毎日家に居て、普通の生活を送ることなの。好きなご飯を自分で作って、二人で『美味しいね』って言って食べて、片付けをして、昼寝して、お風呂に入って、テレビ見て寝るの」。驚いた。以前は、「パリに行きたい」「オースラリアに行きたい」と言っていたのに。食欲がなくなり、味覚が失せ、手足がしびれ、そして睡眠導入剤なしでは寝られなくなった。「普通」の当たり前の生活の有難さに気付いたのだ。

私も反省。生前、母親に諭すというより叱るように言われたことがある。「あんたわね、人と違ったことをやったり、上へ上へと登ることばかり口にするけど、普通の生活を送れるというだけで大変なことなんだよ。『おかげさま』って感謝しなさい」と。明確に覚えていた。だが、心底その意味がわかっていなかった。人間、とことん辛い目に遭わないと「普通」の有難味はわからないのだ。

「感謝すること」をメモ帳に書き出した。①最初は「このまま死ぬ」と言っていたのに治療してくれる②ローンの終わった住む家がある。③しばらくは、仕事をせず預金を取り崩しすれば介護に専念できる。④医療コーディネーターI先生と奇跡的なタイミングで出逢えアドバイスをもらえた。⑤全身の骨に転移はしているのに本人は痛みがない。⑤冷たいが主治医が名医との評判を聞きホッとした。⑥がんとわかった翌日、従姉が心配して飛んで来てくれた。⑦私自身に持病があるものの、今のところ落ち着いており心身ともにカミさんを支える余裕がある。⑧体調の良い日は一緒にテレビを見て笑える。⑨突然死ではなく、病気に一緒に立ち向かえるのが幸せ。⑩ほとんど何もしなかった私が家事をするようになり、カミさんの役に立つ・・・などなど。

誰もが、無理やりに綴ったと思われる事柄ばかりだ。承知している。だが、目が見えること、匂いが嗅げること、耳が聞こえること、に足が二本ずつあって使えることなど、「当たり前のこと」が本当に有難いと思えるようになったのだ。

「がん」だというと、「あと何か月」と考えてしまう。「今度のカミさんの誕生日は一緒に過ごせるだろうか?」などと。でも、人はいつか死ぬ。どれだけ生きられるかわからないが、充実した「普通」の今日という日を生きるように努めようと思った。悶えるような辛い毎日の中にでも、小さな小さな感謝を無理やり見つけて。