第25回 夫婦はそもそも別々の生き物である

がん治療を夫婦二人三脚で行ってきた。とはいっても、その歩幅や歩くスピードが違うので思うように進まない。転んでしまうどころか、進む方向さえ違ってケンカになってしまう。二人の「生き方」を合わせることが最大の課題だった。

まずは、治療を受けるか、それとも無治療でそのまま「死」を迎えるか。多くの人は私と同じ前者だと思う。「生きたい」と思うし、そのために病気を治したいと願う。だが、「うつ」になると「生きる気力が失せてしまう。中には自ら命を絶ってしまう人もいる。カミさんは、結婚当時から口癖のようにしていた一つの生き方哲学があった。それは「太く短く」だ。「私はね、楽しい事やって太く短く生きて死ねたらいいの」と言っていた。出逢った24歳の当時からだ。

「へえ~」と冗談半分に聞いていたが、それが治療する段になって大きな問題になった。当然、私としては一日でも長く生きていて欲しい。でもカミさんは違う。夫の言うことは聞かないので、医者、看護師、友人、親戚を総動員して「治療しよう」と話してもらった。カミさんは最後まで嘆いていた。「みんなに寄ってたかって説得された。それを受け入れたせいで辛い目に遭った。でも、それは受け入れた自分の責任。受け入れた自分がバカだった」と。

新婚旅行の新幹線の中で、二人して駅弁を一緒に食べた時のことが忘れられない。幕の内弁当だった。私がエビフライを残していると「嫌いなの?」と聞く。「いや、好物だから最後の楽しみに残しているんだ」と答えると「信じられない」という。「私もエビフライが大好きだから、最初に食べる」と。ひょっとしたら次の瞬間、地震が起きて二人とも死んでしまうかも。そうしたら好物のエビフライを食べ損なってしまう。死んでも死にきれないと。

がん治療を受ける時、最大のポイントは「痛いか、苦しくないか」だった。私からすると、少々痛くても「治るかどうか」ことの方が優先する。それが違うのだ。「楽しい」人生、「好きなことをする」人生を生きてきたカミさんにとって、「痛み」は最大の問題なのだ。だから注射が大嫌い。それこそ、注射するなら死んでもいいというくらい。一事が万事。治療を通して、つくづく夫婦はそもそも別の生き物だと悟った。

でも、カミさんから有難いことを学んだ。「明日生きているとは限らない。だから、今日やりたいことをしよう!」。人生とはその積み重ねにある。