第26回 脳梗塞がきっかけで
いくつものピンチがあり、辛い苦しいとはいうものの、比較的平穏な毎日が続いていた。だがそれは突然に壊れた。明け方、頭が痛いので指圧をして欲しい言い起こされた。良くなるどころか悪化。一時間ほどして起き上がろうとすると、ペタンと倒れてしまう。左手に力が入らない。私は「間違いない、脳梗塞だ」と判断し救急車を呼んだ。車の中に運び込まれた時には、半ば意識が無くなっていた。頭の中に、二つの悪いことが浮かんだ。一つは、このままあの世行き。もう一つは、車椅子の生活だ。
後から知ったこと。抗がん剤治療を続けていると、動脈硬化を起こしたり、血管がもろくなる副作用があるという。カミさんの場合、CTを見ると脳の太い血管の一部が細くなり、血栓が詰まったらしい。それがわかっていたなら、脳の検査をして事前に防ぐことができたはずだ(もし抗がん剤治療を長く続けている方は、ぜひ検査をお勧めしたい)。M先生を恨むつもりは一切ない。すべてが自己責任。というのは、カミさんは糖尿病も患っていた。M先生からは「糖尿病の方が心配だ。数値を下げなさい」と指導されていた。
ところが、「好きなことをする」という生き方を貫いてきたカミさんは、食事制限が一番辛い。テレビを見ながら(味覚がほとんどないというのに)スナック菓子を食べ尽くす。ファンタが好きでガフガブ飲み干す。私が何か言おうものなら「そんなの生きてても仕方ない!」と怒鳴られる。その結果が脳梗塞だった。集中治療室の待合室で手を合わせて祈った。
もうダメだ、と諦めたにもかかわらず祈りは通じた。意識は戻り、しゃべれるようになり、歩けるようになり・・・2週間ほどで退院。なんと、身体的にはまったく後遺症がなかった。脳内科の主治医から、「もう一度車の運転をしたければ、運転試験場で検査を受けて来てください」言われ平針へ出掛けた。その結果、異常なし。リハビリ師さんも「奇跡的」と驚いた。冷たいが腕のいいM先生、医療コーディネーターのI先生、中国鍼の項一先生との出逢いに続き、なんとも「運」の強い奴だと感心した。
ところが、である。この後、脳梗塞が引き金となり、最期の日に向かって坂道をガラガラッと転げ落ちていくことになる。その時は二人ともまだ、身体ではなく心が侵されていたことに気付いていなかった。