第24回 辛い毎日から学んだこと

がんが小さくなり安定期に入ったとはいえ、治ったわけではない。がんと同居して生きている状態とでも言うのだろうか。副作用の症状も軽減はされたが、相変わらずカミさんの精神が不安定な時には、私はカミさんのパンチのサンドバッグと化した。その毎日は、まさしく人生の勉強、いや修業だった。

友人Aからの手紙の言葉に目が止まった。「不安に感じるのは可能性がゼロではないからである」。もう四六時中が不安で仕方がない。「不安に押し潰されそう」というのは、こういうことを言うのかと思った。だが、可能性がゼロの時には「諦める」。可能性があると信じているからこそ不安になる。そう考えたら「不安でもいいや」と開き直り「希望」が見えて来た。

次の二つは、私が代表を務めるボランティア団体「プチ紳士・プチ淑女を探せ!」運動事務局で制作した日めくりカレンダーの中の言葉だ。「心配しない。疑わない。不安がらない」。そして「うつむくな、顔を上げよう!」。悩んで暗くなると、知らぬ間にうつむいている。この二つを書斎の机の上にずっと開きっぱなしにして自らを励ましていた。

ある日、天に向かって唾を吐いたこともある。「神様、どうしてこんな辛い目に遭わせるんですか?」と。誰もが考えるらしい。前世が悪いか、今までの行いが悪いのか、その報いなのではないかと。「このへんで勘弁して下さい」と天を仰いで頼んだ。だが、気付く。辛い目に遭ったおかげで、間違いなく身に付いたことがある。人の心の痛みが、以前よりは理解できるようになったことだ。人は自分が傷つかないと、人の痛みもわからないらしい。

こんな真理にも気づいた。同じケガや病気でも、人によって感じ方、受け止め方が全く異なるということだ。風邪一つひいたことのない明石家さんまさんが、37度の熱を出した時のことだそうだ。初めてのことで「死ぬ死ぬ」と大騒ぎした。本人はそれほど辛かったが奥さんは「何を大袈裟な」と相手にしてくれなかったという。指に小さな切り傷をして泣き出す人がいる一方、片腕を事故で失くしても平然として生きている人もいる。カミさんを脅かした数々の副作用を見て、「その程度のことで騒ぐな」と思ったこともある。だが、それは比較ではないのだ。身体の痛みも心の悩みも、その人によって異なる。それを理解することが病人の看病・介護では重要になることを学んだ。