第21回 中国鍼の名医との出逢い

私の友人たちは「おせっかい」だ。様々な治療方法やお医者さんを紹介してもらった。中には「だまされたと思って」と強引に薬を送ってくれる人もいた。その一人がOさんだった。Oさんは私も参加する勉強会の代表を務めていた。その勉強会のメンバーで中国人のTさんが、中国鍼のお医者さんを紹介したいと言っているという。私はTさんのことも知っていた。勉強会で中国視察旅行に出掛けた際の幹事だった。

「ありがとうございます。気持ちだけいただきます」と答えた。中国鍼と聞き、正直「怪しげ」に感じたからだ。しばらくして再びOさんから電話があった。「中国鍼はどうだった?」と。心の中では有難迷惑」と思った。私は、もう一度やんわりと断った。それで終わったと思っていた。忘れもしない平成23年12月30日、ドアホンが鳴り玄関を開けると、そこにTさんが立っていた。

抗がん剤治療を始めて7か月。もう限界に来ていた。カミさんは食が細くなり、ふくよかだった面影もない。外出は通院のみ。家に居ても横たわっていることが多く、「もう治療止める」が口癖になっていた。実は、抗がん剤の効き目が出ていた。ボコボコに腫れたオッパイが見た目でも小さくなり始めていた。だが、衰弱して治療を続けるのは困難な状態。止めるということは、「死ぬ」ということなのだ。二人とも精神的に不安定になっていた。

カミさんもフラフラと一緒に玄関に来た。すると、Tさんの後ろに女性が立っていた。「志賀内さんから連絡がないので、中国鍼の先生を連れて来ました」と言う。「なんというおせっかいだ!」と思った。だが、カミさんがニコリと微笑んだ。(私もだが)男だと思い込んでいたのに女の先生であることを知り、心が和らいだらしい。ここで追い返すわけにもいかず、応接間に上がってもらった。病状と経過を説明すると、先生は即答された。「ダイジョウブネ、ワタシガナオシマス」。思わず言っていた。「どうか先生お願いします。愛しているんです。彼女がいなくなったら生きていけません」。後で聞いた話。その時、私は死にそうな顔つきで懇願していたらしい。その形相から「絶対救ってあげなくてはいけない」と思ったそうだ。

それが項一雅子先生。上海の大学病院で鍼治療を行ってきた名医で、今は日本に帰化し茶屋ヶ坂東洋医学研究所を開設しておれらる人だった。まさしく、この日から奇跡が起きた。